公開日 : そうですね、横浜ベイスターズの歴史を見てみると、日本一を達成したからといって翌年以降も強くなるのかといったらそういう訳ではなく、いきなり「最下位」に落ちてしまうパターンも存在していました(1960年~1961年)そりゃあ・・ありますよ・・・ただ、万年Bクラス球団と言われてしまえば反論は難しいので、横浜ベイスターズは優勝争いから一歩引いた球団だと私は思います・・・そんな横浜ベイスターズを私は心から応援して欲しいと思っておりますので、横浜ベイスターズを好きになってもらえるように、球団の歴史をプレイバックしてみましょう!まずは、横浜ベイスターズの歴史の中で一番星のように輝いている、3つのエピソードを一緒に見ていきますか!!目次そんな輝かしい横浜ベイスターズのエピソードは、の3話になります!まずは、球団史上最強だったマシンガン打線について見てみましょう。マシンガン打線とは、1998年から1999年頃の横浜ベイスターズの打線を指しており、特に日本一を達成した1998年の1試合の平均得点はマシンガンという名前の通り、連続安打でチャンスを広げ1998年の横浜対西武の日本シリーズ第5戦では、横浜ベイスターズが「1試合20安打」という日本シリーズの記録を作り上げ、マシンガンの勢いは大一番でも劣化することが無い程、強力だったのです!この当時の横浜ベイスターズは本当に強かったですよ!連日スポーツニューズで「マシンガン打線!!」って連呼していたと記憶しています(汗)また、大魔神佐々木の力は強力であり、1998年9月19日に「ハマの大魔神社」が設置され、撤去される1999年1月17日までの間に「約1660万円」のお賽銭が集まったと言われてます(驚)勝利と金を呼ぶ男、佐々木主浩がいなければ、1998年の横浜ベイスターズの優勝は「確実」に実現出来ていなかったでしょう!横浜ベイスターズが日本一となった1998年の成績はただ、そんな佐々木主浩から「通算打率.444」を記録していた「落合博満」も覚えておいて欲しいです!1969年のドラフト会議で注目選手となっていた荒川尭(たかし)は「巨人・アトムズ(ヤクルト)以外お断り」と明言しており、結果、交渉権を獲得した大洋ホエールズ(後の横浜ベイスターズ)にはこの態度が癇に障ってしまった大洋ファンは、荒川尭に対して「カミソリを送り付ける」「脅迫電話」などの嫌がらせをやっていましたが、荒川本人は相手にしていませんでした(我慢強い)この態度にしびれを切らしてしまった二人組の大洋ファンは、散歩をしていた荒川尭に襲撃によって、荒川尭は以上の一連の出来事を「荒川事件」と呼び「江川事件」に匹敵する事件だと私は思っています。しかも犯人は捕まっておらず、事件は時効となってしまい、荒川尭には後遺症(視力の低下)だけが残る形となってしまいました・・・マシンガン打線とハマの大魔神は明るい歴史でしたが、荒川事件は一部のファンのせいで、球団のイメージを低下させてしまった暗い歴史でしたね・・・暗いと言えば、横浜ベイスターズの過去の順位についてなんですが、とにかく「1位」は少ないです(汗)しかし、万年Bクラスだからこそ、横浜ベイスターズに活路があるのかどうか私と一緒に確認してみましょう!!横浜ベイスターズのこれまでの順位をまとめましたのでご覧ください・・・※1950年から2016年までの67年間の順位の合計うーん、やっぱり6位(最下位)が多いですね・・・横浜ベイスターズは「1950年から1959年」と「2006年から2015年」は、どちらも「10連続Bクラス」をやっちまっているので、自然とAクラスの回数が少なくなってしまったのでしょう・・・現に、第2回10年連続Bクラス後の2016年は「3位」に浮上していますので、2017年以降の横浜ベイスターズは優勝出来るチームに昇華しているかもしれないのです!私は、横浜ベイスターズに対しては他球団より「若干」ひいきしている部分があるので、本当に頑張って欲しいなぁ・・・という想いがあります。現在の横浜ベイスターズに浮上のきっかけを作ったのは、第2回10年連続Bクラス時代を支えてきた投手「三浦大輔」の存在が大きいと思っています!そんなハマの番長は準永久欠番に指定される程の活躍を残したので、再度、その雄姿を振り返ってみましょう!横浜ベイスターズの準永久欠番となっている背番号18の投手三浦大輔ですが、1991年、横浜大洋ホエールズにドラフト6位として入団しました!その際の三浦大輔の背番号は「46」でした。プロ入り後は、3番手4番手を任せられる先発投手であり、なかなか頭角を現すことが出来ませんでした。勝利数こそ横浜ベイスターズの無援護が多かったことがあり、逆に負け越ししてしまうシーズンもありましたが、防御率は平均して3点台をキープし、1992年から2016年の通算25年は横浜ベイスターズで投げ続けました(えらいっ)成績こそ飛びぬけた部分はありませんでしたが、三浦大輔は三浦大輔の踏ん張りがあったからこそ、2017年現在の上昇気流が発生した訳ですが、過去の横浜ベイスターズには、それすら感じさせないような「ぶっちぎりの最下位」を記録してしまったシーズンをご存知でしょうか?まさに暗黒時代の横浜ベイスターズの監督は、一体誰だったんでしょう!?1955年、当時大洋ホエールズだった横浜ベイスターズは、首位の巨人に「31勝99敗」という記録を収めてしまい「いやー100敗しなくてよかったねー」という所しかフォローする部分がありません・・・(悲)また、この時の首位巨人が「92勝37敗」というぶっちぎり優勝の成績を記録してしまったので、最下位の大洋とのゲーム差が露骨に出てしまったのです。いくら巨人が強いからとはいえ、当時の大洋の監督は何をしていたんだ?と私は怒りを感じてしまうのです!!・・・その男の名は「藤井勇」であり、プロ野球の公式戦で「初めて本塁打を記録した選手」として知られています。藤井勇が兼任監督ということは、満足に試合に出れないことが確実なので、チームの戦力がダウンすることは目に見えています。その結果が「61.5ゲーム差」を生んでしまった一番の要因と言われていました・・・やっぱり、現役の成績と監督の成績は「一致」しないことが多いんだなーと、横浜ベイスターズの「61.5ゲーム差」を通して、改めて知ることが出来ました。昔から、巨人にやられてきた横浜ベイスターズですが、実は「横浜銀行」なんて呼ばれていたのです!なんでそう呼ばれていたのかは、最後の項を見れば全て解決するので、とりあえず見てみましょう。1980年代、横浜大洋ホエールズは「横浜大洋銀行」と呼ばれていました(苦笑)また2012年には横浜DeNAベイスターズとなったので「横浜銀行」と呼ばれており、たまに当時の監督中畑清をもじって「中畑銀行」とも呼ばれていました(不名誉)でも、2017年8月現在は「横浜銀行」から貯金するのは至難の業ですよ、だって3位でAクラスですからね(笑顔)4位でBクラスの「読売銀行」の方が、まだ貯金させてくれますよ!他球団の皆さん!!(笑)最後まで読んで頂きありがとうございます。横浜ベイスターズの歴史を見てきましたが、確かに弱かったですけど、今まで弱かったからこそ、これからは優勝のチャンスあり!という歴史の流れで問題無いと思います!私は、今の横浜ベイスターズは「上に突き進む」タイミングだと本気で思っていますので、2017年はCSで広島を倒して日本シリーズ出場だ!と考えていますからね!!「松井秀喜のメジャーの成績は立派!メジャーに上陸したゴジラの戦歴を見よ!辛いもので下痢になった!この対処法でスッキリ簡単に下痢を克服!プロ野球で最速の足を持つ男は誰だ!足でファンを魅了する韋駄天を紹介!落合博満の現役の成績は凄すぎ!!伝説の三冠王は有言実行が出来る天才だ!野茂英雄の成績と年俸は?メジャーで果たした偉大な功績を熱く語る!かぼちゃで糖質制限は難題?含有量やカロリーから見るダイエット効果とは?かぼちゃの栄養はすげぇ!皮にも美容の効果バツグンの優秀野菜だ!しめじの旬の時期はやっぱり秋?栄養や種類も知りたい万能キノコの可能性!しいたけ(椎茸)の旬の時期は?栄養や美味しいしいたけの見分け方はコレ!栗の種類は美味しさの数!人気の品種から味の見分け方まで栗の魅力に迫る! 神奈川県を保護地域とし、同県横浜市 中区にある横浜スタジアムを専用球場(本拠地)としている。
スポンサーリンクスポンサーリンク 関連記事はこちら!スポンサーリンク秋田県在住ブロガー。月30~40万回、累計1600万回読まれているグルメ記事多めの雑記ブログです。お問い合わせフォームからの商品レビューや広告依頼も受付中です。仕事ください。アイコンは自作のラーメンです。スポンサーリンクスポンサーリンクスポンサーリンク引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 横浜DeNAベイスターズ(よこはま ディー・エヌ・エー ベイスターズ、英語: Yokohama DeNA BayStars )は、日本のプロ野球球団。 セントラル・リーグに所属する。略称は「横浜」「DeNA」。. 横浜ベイスターズの歴史に触れる記事です!マシンガン打線、過去の順位、61.5ゲーム差など私の独自目線で紹介しています。横浜ベイスターズの歴史に関する情報が沢山ありますので、興味のある方は、ぜひぜひ、読んでみてください! スポンサーリンクスポンサーリンク全マシニキは今日も全マシィィィッ!全マシニキです! 今回はプロやきうの話題です。私がプロやきうに興味を持って20年くらいが経過しました。20年も見続けていると、様々な選手に出会います。たくさんの個性的な選手を見てきた中で、好きなジャンルがあるんです。 チームが低迷している期間のエースピッチャーの事を指します。明確な定義ってハッキリしないのですが、私のイメージとしてはこんな感じです。 チームが長年に渡って低迷すると誕生する悲運の投手たちなのです。そんな彼らの成績を見ると、プロ野球史の闇を垣間見ているようで、胸が熱くなります。そこで今回の企画です。 あくまで私の独断とイメージです。そして歴代とは表記してますが、私の記憶にある過去20年程度の期間の選手で打線を組みます。 それでは、各選手の説明に行きます! みなさんもご存知、ハマの番長こと三浦投手です。2016年に惜しまれながら引退しました。横浜ベイスターズの象徴です。 これらの成績を出してみると、文句なしの数字です。2005年、2006年には2年連続200イニング超えのタフネスっぷり。横浜一筋25年で積み重ねた敗戦数は圧巻の184です。長くに渡って低迷するベイスターズを支え続けました。どんなに打線の援護がなくてもそんな人柄だからこそ、みんなに愛される選手でいられるのでしょう。シーズン開幕戦の通算は0勝7敗です。開幕戦7連敗は日本記録です。ただし、彼は1998年にリーグ優勝、日本一の経験があるので、 永遠番長。僕が言いたいのは永遠。 ロッテの暗黒エースと言ったら真っ先に彼が思い浮かびます。抜群のコントロールと多彩な球種で 2004年にロッテに復帰してからは中継ぎメインでの起用ですが、90年代のロッテ時代は91~93年の間には当時のロッテはかなり弱かったので、彼もなかなかの負けっぷりです。 小宮山悟と共に、闘志を前面に押し出す投球でそのプレースタイルのためか、ケガを押して出場を続けたことがあり、短命な選手となっています。通算では勝ち越していますが、なかなかの暗黒っぷりなので3番に置きました。 1997年にはチームが最下位に沈む中で、特に目を見張るのが結局チームは17連敗し、日本プロ野球ワースト記録になります。2001年に選手生命を脅かすほどの大きなケガを負い、結局その後はカムバックできませんでした。実働は7年程度と、記録より記憶に残る選手です。 90年代の阪神の暗黒時代を語るなら間違いなく彼が中心です。メジャー経験もあるので、通算成績は日米通算です。 メンタルが弱いと言われ、良いピッチングをしていても突如崩れたり、肝心な場面で弱かったりとする選手でした。本当にこの頃の阪神は弱かったです。けど暗黒阪神が大好きでした。阪神には94~04年の11年間在籍、2003年にはリーグ優勝も経験しています。しかし彼がエースだったのは90年代の暗黒期、彼こそが暗黒エースなのです。02~04年には投手としては珍しい背番号4を付けていました。 00年代に活躍した助っ人選手です。外国人投手として史上初の両リーグ二桁勝利を記録するなど、2球団で大活躍しました。その一方、NPB通算7年で全シーズンBクラスを経験と、かなりの 特筆すべきは投球イニングです。そして負けます。二桁勝っても二桁負けます。01~02年には2年連続シーズン14敗を記録しています。7年間で5回の二桁勝利も達成しているので、通算は勝ち越していますが、 00年代のロッテのエースです。00年代の後半になるとロッテは上位争いをするようになってきますが、 シーズン最多敗戦は11敗と、他の暗黒エースに比べると少なめなのですが、プロ12年で6回の二桁敗戦を記録しています。前述にもありますが、00年代後半になるとロッテは強くなり、05年はリーグ優勝、07年はリーグ2位になります。しかしながら、彼は両年とも二桁敗戦を記録と二桁勝利は7度記録と、典型的な10勝10敗タイプでした。 90年代の日本ハムファイターズのエースです。長身に細身、甘いマスクから西武の渡辺久信、近鉄の阿波野秀幸と並んで 私の中では、かなり暗黒エースのイメージがあったのですが、調べてみたら日ハム在籍11年間でBクラスは7回、うち最下位は1回でした(十分暗黒ではありますが)1988年にはチームは3位でしたがこの成績で11敗も喫するというのがしかしながらWHIPを見ても、他の暗黒エースより優秀ですし、私の偏見が強かったですね。 2000年前後の日本ハムのエースでした。エースと言うより、他に投手がいなかった感が強いですが・・・(失礼w)当時の日ハムはその分、よく打たれました(ラビット時代ってのもありますが) WHIPを見てもエースと呼ぶにはキツいものがありますが、当時はエース扱いでした。通算防御率を見ても、ラビット時代とは言え、良くないです。 とはいえ、当時の投手難の日ハムを支えました。99~01年まで、なぜか オリックス時代は主力として活躍しました。お世辞にもエース級とは言えませんが、彼の プロ14年で規定到達は2度です。体重62キロという、プロとしては非常に細いですが、14年も現役を続けました。上記のデータだけではわからないのですが、彼は驚く記録を持っています。 何かおかしかったですか?誤字はありませんよ? 凄いでしょう?4勝で最優秀防御率ですよ?この年のオリックスは最下位、翌年も最下位、また翌年も最下位・・・。暗黒も暗黒、もう真っ黒なレベルでした。ちょうどイチローが抜けて暗黒街道に入った頃ですね。この頃からチームは迷走し、今に至ります。 2016年は広島カープを25年ぶりに優勝へ導き、華々しく引退しました(日本一にはなれなかったけど) 説明不要の広島カープの大エースです。・・・というイメージが強いかもしれませんが、なかなか泥臭い球歴ですよ? 彼が入団した当初のカープは本当に弱かったです。ずっとBクラスです。彼自身も、プロに入ってすぐ活躍できたわけではありません。大卒1年目こそ135イニングを投げ6勝9敗でしたが、その後は鳴かず飛ばず・・・。5年目に花開き、12勝をマーク、その後はカープのエースとしてチームを支えます。しかしながらチームが弱いため、勝ち星には恵まれません。2005年にはWHIP1.06で11敗を喫しています。2008年から7年間、MLBでプレーしますが通算WHIP1.17で79勝79敗です。つくづく援護に恵まれないところで、彼のしかしながら、カープの暗黒時代を支え、カープを優勝に導いた黒田投手の背番号15番は、カープの永久欠番となりました。文句なしの暗黒大エースということで、この暗黒軍のエースはこの人です。 2016年に引退しました。近年は阪神のリリーフエースでしたが、若い頃は暗黒時代のエース格でした。 彼が入団してすぐに阪神は強くなりましたが、私の中では暗黒感が強いんです。調べてみたらやっぱり、優勝した2002年には登板は5試合のみ、2005年の優勝時には8勝14敗でした。どうしても勝ってるイメージがないんですよねw二桁敗戦は4回と、驚く数字ではありませんが、積み重ねた通算は104敗です。晩年は中継ぎとして大活躍しましたが、私の中では暗黒感が拭えませんので、リリーフエースのポジションをあげます! 広島カープ暗黒時代を象徴するエースです。黒田投手より暗黒エースです。 彼はクローザーをやっていた期間もあるため、100勝100セーブを達成しています。1991年には240イニングを投げ、17勝9敗、防御率2.44、チームの中心選手としてチームを優勝に導きます。しかし、その後は暗黒街道まっしぐらです。90年代はAクラス争いはするものの、21世紀になると5位が指定席でした。シーズン二桁敗戦は4回なのですが、毎年コンスタントに7、8敗しています。1993年には17敗と、近年ではワーストのシーズン最多敗投手です。彼が現役のうちに、カープが再浮上することはありません。138勝153敗106S・・・歴史を感じ、ゾクゾクする成績です。抑え経験も豊富なことからチームのクローザーに任命します。 これぞレジェンドです。1954~73年に活躍した阪急ブレーブスのエースです。 数字を見ると現代野球とは別のスポーツに感じるほど恐ろしいですねwキャリアハイは1956年、364イニングを投げ28勝17敗、防御率2.25です。・・・狂ってますねw255敗しておきながら、シーズン最多敗投手になったことはありません。近代野球では考えられない数字ばかりですね。NPBのルーキーで20勝以上して新人王になれなかった唯一の投手でもあります。彼の現役生活の晩年は阪急も強かったのですが、全盛期は弱かったです。なので彼こそ暗黒軍の監督です。 楽天ゴールデンイーグルスのエース、則本昂大投手です。彼は今の日本で一番 ルーキーイヤーこそはリーグ優勝、日本一を経験していますが、その後は6位、6位、5位と低迷しています。まだまだ勢いに任せた投球スタイルが目立つので、大人の投球を身につけて欲しいです。チーム事情もありますが、見事に貯金が作れていません(実際、リリーフにけっこう勝ちを消されてる)投げたがりのため、球数が非常に多いのでケガが心配です。弱小チーム、二桁勝利、二桁敗戦、イニングイーター、申し分ないですね。これぞ暗黒エースです。私は楽天ファンなので、彼が暗黒エースだと困るのですが、ゾクゾクする成績ですw 暗黒エースの基準としては10勝10敗です。そこで、よく10勝10敗の代名詞になる門倉健投手ですが・・・ シーズン二桁敗戦は1度だけなんです!しかも10勝10敗したことってないんですよ。ネタにされがちですが、門倉投手は優秀な投手です(通算WHIPは高めですが)なのであまり門倉門倉言うのは止めましょうw ちょくちょく出てくる独断と偏見に満ちた勝手なイメージですので、ご了承くださいw色々と好き勝手に述べさせていただきましたが、私は暗黒エースをリスペクトしています。 プロ野球選手は野球エリートです。野球が上手い人の集まりなのです。 けれどプロには1軍の試合にすら出られずに引退する選手もたくさんいます。1勝どころか、1敗すらできずに・・・。 ただし、様々な選手のデータを分析すると、暗黒エースって成績の割にWHIPが良くない傾向がありますね。その結果が負け数の増加に繋がっているのかもしれません。 長く野球を見ていると、成績だけで楽しめるんですよ。地理に詳しい人が地図記号を見て地形がわかるように、野球選手の個人成績にも色々なドラマが隠されているのです。データだけ見てるだけで楽しめちゃいますからね。彼らの人生、日本プロ野球の歴史が詰まっているのです。 野球観戦が好きだけれど、データにはあまり興味ない人いませんか?もう一歩踏み出してみてください。楽しい世界が待ってますよ。数字で歴史が読めるようになります。あなたもやきう民になりましょう! ではでは!今日はここまで!ごちそうさまでした!