6曲目『永遠の嘘をついてくれ』(平成7年 1995)吉田拓郎 この曲のレビューになりました。 この曲は、まず、2006年(平成18年)静岡県掛川市つま恋多目的広場で行われた「吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006」でのステージをご覧になってください。♪『永遠の嘘をついてくれ』https://www.youtube.com/watch?v=IWX5ipStDTs 私は、このライブの模様を当日のNHKの生放送で観ていました。 このライブより先立つところ、31年前の1975年8月のオールナイトライブ「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」をそこかしこのメディアで観た上でDVD-BOXまで買って観ていたので、このライブも、とても楽しみながら観ていました。 拓郎のことは、特別にファンではありませんでしたが、好きな曲が何曲かあって、周囲の誰も知らなくてもカラオケでも唄っていましたし、この曲も唄っていました。 ところがどうでしょう。前節をギター一本で歌って前奏が始まると、左袖から、照明も受けることなく、ゆっくりとステージ中央に向かって歩いていく髪の長い女です。 少しはにかみながら顔を上げると、確かに、中島みゆきなのです。 もう、ぶるぶると震えてしまって、ソファで寝っ転がってた私は立ち上がってしまいました(笑) ウィキペディアで「吉田拓郎」を検索すると、それはもう、逸話ばかりで、曲の紹介は別ページ追いやられるくらいのお人です(これはこれで面白いので、興味がおありでしたら検索してみてください)。 拓郎にとって、この曲が(おそらく)唯一、作詞・作曲とも他の人に託した曲です。「もう、中島みゆきが作った『ファイト!』のような曲が書けないから、自分に遺書のような曲を書いてください」 これが、『永遠の嘘をついてくれ』の依頼内容だったとされています。 なぜ、それが中島みゆきへの依頼なのか?それこそ、検索すれば逸話が山のように出てきますが、此処では語りません。 なぜ、歌詞中に、ニューヨークなのか?成田なのか?上海なのか?という答えも、種々様々ありますが、此処では語りません。 ただ、一つ言えるのは、この曲が、まるで拓郎が作ったかのような字余りの作詞で、拓郎調のメロディだ、ということです。 それが、中島みゆきの答えであり、依頼された結果の曲でした。 そして、このつま恋でのライブは、オーディエンスには完全にサプライズだったので、中島みゆきは現地のステージではノーリハーサル。ライブが始まる当日に、ワンボックスカーでつま恋入りし、歌い終わったらすぐにワンボックスカーで東京にとんぼ返りだったということです(中島みゆきの「オールナイトニッポン」で本人談)。*1975年の「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」からも一曲紹介します。『人間なんて』吉田拓郎(オールナイトライブの最後の曲です)https://www.youtube.com/watch?v=pIoadqiirikハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)応援したユーザーはいません機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。 ちょうど10年前、2006年のある日、録画したビデオを見ながら酒飲んでたんですね。それ何のビデオかと云うと、その年の9月にあった「つま恋2006」というコンサートで、主に吉田拓郎とかぐや姫が出ていて、8時間延々と歌ってるわけです。どうしてこれを録画しようと思ったかと云うと、僕らの世代にはこの2006年のつま恋に繫がる1975年のつま恋の記憶というのがあってですね、31年前の8月に「吉田拓郎・かぐや姫コンサートインつま恋」というのが2日間にわたって行われたんですが、何だか覚えているのは、静岡県のつま恋に5万人もの人が集まって、相当大変なことになったことがあったんです。そんなこともあり、同世代としては懐かしさもあって見てみようと思ったんですね。1975年に話を戻しますと、この時、吉田拓郎29歳。この人は1960年代からフォークソングの世界で台頭し始め、その後シンガーソングライターとして数々の曲を生み、多くのファンの支持を集めます。1972年には「結婚しようよ」が大ヒット。フジカラーのCM音楽も話題になり、1974年には「襟裳岬」がレコード大賞を獲りました。ちょっとメジャーになりすぎて、フォークの世界の方々からは軟弱だと批判や攻撃を受けたりしましたが、ともかくこの頃には、アーチストとしての地位を確立しておりました。また、1969年にアメリカで「ウッドストックフェスティバル」という大野外コンサートが4日間も続けて行われて、「ウッドストック」という記録映画も評判になっていて、拓郎さんはそれ的なことやりたかったようです。ただ、いくらなんでも一人だと、時間的にも体力的にも持たないので、仲間でもあり後輩でもあるかぐや姫を呼んだんですけど、実はかぐや姫はその4か月前に解散してまして、でも、なかば強引に連れてきちゃったみたいですね。ただ、かぐや姫の「神田川」が大ヒットしたのが、1973年でしたから、解散したとはいっても、この頃のこの人たちは、全盛期と云ってよいと思いますが。1975年て、私は21歳でして、つま恋には行ってませんけど、この方たちの曲はラジオやレコードでよく聴いております。吉田拓郎さんがフォークの活動を始めたのは、地元の広島の大学生の時で、その頃私は中学高校と広島の子でしたから、ちょっと親近感もありました。フォークソングとは、みたいなことを語り始めると長くなりそうだし、よくわからないんですが、フォークの人たちは基本的に自作自演です。その前は、自分で曲作る歌手は加山雄三さんくらいでしたから、吉田拓郎は、フォークの世界から出てきて、シンガーソングライターと云うジャンルを作った草分け的な人でした。この人の歌にはいつもあるメッセージがありますが、それまでのプロテストのにおいがしたり、背景に学生運動を感じるフォークソングに比べると、それは自身の生き方だったり、恋愛的なものが含まれていたりしました。いつの間にかこの人のことをフォーク歌手とは云わなくなっていたと思います。そんなことを思いながら、懐かしい吉田拓郎の歌を聴いてたんですけど、ある曲の途中で、突然、舞台の下手からスペシャルゲストの中島みゆきが登場してきます。会場も盛り上がりまして、吉田拓郎と二人でこの歌を歌い始めたんです。私、この時初めてこの曲を聞いたんですが、ある意味ものすごく二人の歌が胸に刺さったんですね。中島みゆき作詞作曲「永遠の嘘をついてくれ」という歌です。ただこれ中島さんが作った曲だとは思わなかったんです。なんか字あまりな感じとか、詩の中身も、見事に拓郎節になっており、ゲストの中島みゆきが吉田拓郎作の歌を歌ってるように思えたんです。でもこの歌には歴史があってですね、「永遠の嘘をついてくれ」は、1995年に中島さんが吉田拓郎へ贈った歌だったんですね。1994年頃、泉谷しげるの呼びかけでニュ-ミュージックの大物が集まったチャリティコンサートがあって、吉田さんはそこで中島みゆきの名曲「ファイト!」を弾き語りで歌ったんだそうです。その時吉田さんは、自分が歌いたい歌はこんな歌なんだと強く思ったといいます。この時期、納得のいく歌が作れていなかったのかもしれません。吉田さんは、1995年のニューアルバムのレコーディングの直前に、中島さんに会って、「もう自分には『ファイト!』のような歌は作れない。」と云って、異例中の異例のことですが、曲を依頼します。中島さんは、あの1975年にデビューしています。歳は6才年下で、ずっと吉田拓郎の大ファンであり、音楽的にも多大な影響を受けました。この時、吉田拓郎からの依頼を彼女はどんな思いで受け止めたんでしょうか。そして、吉田さんがバハマにレコーディングに出発する直前に、中島さんからの渾身のデモテープが届いたのだそうです。そういうことを知った上でこの歌を聴くと、かつての自分のヒーローに対する中島みゆきの想いが、メッセージが、強くこの曲に込められていることが、よくわかる気がします。拓郎の歌がなければ、中島みゆきもいなかったかもしれないという気持ちが、そこにはあったかもしれません。 作詞・作曲 中島みゆき 永遠の嘘をついてくれ ニューヨークは粉雪の中らしい成田からの便は まだまにあうだろうか片っぱしから友達に借りまくればけっして行けない場所でもないだろう ニューヨークぐらい なのに永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ この国を見限ってやるのは俺のほうだと追われながらほざいた友からの手紙には上海の裏町で病んでいると見知らぬ誰かの 下手な代筆文字 なのに 永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか 傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく放っておいてくれと最後の力で嘘をつく嘘をつけ永遠のさよならのかわりにやりきれない事実のかわりに たとえ くり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから 君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ 君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ 「永遠の嘘をついてくれ つま恋2006 中島みゆき&吉田拓郎バージョン」9‘15“は、その後ipodに入れて、ときどき走ったりする時とかに一人で聴いています。何だか励まされて元気出る気がするんですね。自分にとって重要な曲と云うのが、いくつかあるもんですけど、この歌もその一つになっています。ただ、世の中には似たような人がいるもんで、何年かして、ある飲み会の時にわかったんですけど、あの放送を見て、同じようにあの曲が胸に刺さってた人がいたんですね。古い友人のM子さんと云う人なんですけど、やはり同世代であります。だよねだよねだよねえ、みたいなことになり、行きましたね、酔った勢いでカラオケ。私が拓郎パート、彼女が中島みゆきで、唄ったわけです。で、わかったことは、聴くのとやるのは全く違うことだということでして、あたりまえのことですけど。 「永遠の嘘をついてくれ つま恋2006 中島みゆき&吉田拓郎バージョン」9‘15“ は、その後ipodに入れて、ときどき走ったりする時とかに一人で聴いています。
6曲目『永遠の嘘をついてくれ』(平成7年 1995)吉田拓郎 この曲のレビューになりました。 この曲は、まず、2006年(平成18年)静岡県掛川市つま恋多目的広場で行われた「吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006」でのステージをご覧になってください。 この歌は中島みゆきの作詞作曲ということで注目され、つま恋2006ではサプライズ共演と名曲に成るべくして生まれてきたような歌だけど、歌詞だけ読むと意味不明、ちゃうちゃう、意味深すぎてね、ニューヨーク行こうとしてんのに上海?