9/13〜公開中、映画、人間失格を見ました。太宰治の本が特に好きと言う訳では無いです。いきなり、スミマセン自分の投稿ハードルを下げて、感想を書きます。文学的解… 豪華キャストで公開前から話題になっている作品を鑑賞した人は、モデルとなった人物たちにも興味をもったりもしたのではないでしょうか。目次29歳のときに結婚した太宰でしたが、32歳のときに開業医の家に生まれ、父の死後、兄が病院を継ぐが病気がちで、母親の判断で太田医院を閉院。一家は東京へ移る。昭和14年(1939)、弟の同僚に熱心な求婚を受けて結婚。翌年に長女が生まれるが、生後1カ月ほどで肺炎で死去。その後、夫とは協議離婚をする。静子は、夫を愛することができず、それが故に子どもを死なせたと後悔します。兄の影響で短歌に親しみ、21歳時には口語歌集の「衣裳の冬」を刊行した静子は、その罪の意識を告白し、作品にしたいと考えます。(太宰を愛読していた弟・通の勧めで作品に感化され、罪の意識の告白を日記風に書くとともに、という手紙を添えて太宰に送ります。それに対する太宰の返事が、というものでした。悪いやつですねwほどなく、そこで太宰は静子に言います。むしろ、こんな日記風のものをこれからも続けてごらんなさい。気が向いたらときどき遊びにおいでなさい。もしかしたらこのとき、太宰は彼女の日記風のものから、「何か小説のネタになりそうなものが見つかるかもしれない」と考えていたのかもしれません。女生徒 (角川文庫) [ 太宰 治 ]太宰と静子が出会った直後、太宰の意向で静子は堤重久と会う。東京帝大の学生で、昭和15年(1940)太宰の門人となっている。太宰が二人の交際を勧めて会わせたわけだが(昭和16年夏ごろ)、双方が交際を望まず、二人が会ったのはこの1回だけに終わった。静子と堤重久を会わせた太宰の意図は不明ですが、もしかしたらいずれにしても、この出来事は太宰と静子の距離を縮めることにつながりました。※余談ですが、堤重久さんは1917年生まれで、現在もご存命。太宰の死後、京都に移り、京都産業大学で教鞭をとられました。 同じ年の暮れのこと。12月15日に太宰は静子を電報で誘い、新宿で逢引き(デート)をしています。ちなみに、この1週間ほど前、12月8日は真珠湾攻撃の日、すなわち太平洋戦争が始まった日でもあります。その後、(この辺り、正確な記録が残っておらず、どれくらいの頻度で会っていたのかはわかりません)この間のやりとりを見る限り、と甘言を弄し、さらに、と情熱的な言葉を投げかけています。津島美知子(旧姓・石原)と結婚をする際、太宰は媒酌人を渋る井伏鱒二に対して「結婚誓約書」となるものをしたためます。それのことを指しているんですが、一部引用してみましょう。この前の不手際は、私としても平気で行ったことでは、ございませぬ。私は、あのときの苦しみ以来、多少、人生というものを知りました。結婚というものの本義を知りました。結婚は、家庭は、努力であると思います。厳粛な、努力であると信じます。ふたたび私が、破婚を繰りかえしたときには、私を完全の狂人として、棄てて下さい。こんなことを宣誓しておきながら、速攻で不倫関係に走っているわけですね^^;その後、昭和18年(1943)に太田静子は母親とともに神奈川県足柄下郡下曾我村(現在の小田原市)の「大雄山荘」に疎開。終戦までなかなか会えなくなる二人ですが(その間、太宰が仕事で熱海を訪れた際に、一度だけ会う)、以下の二首を太宰は手紙とともに送りました。「ものおもへば澤の螢もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」 (和泉式部集)「五月雨の木の晩闇の下草に螢火はつか忍びつつ燃ゆ」 (読み人しらず)戦後、太宰との再会を望む静子ですが、なかなか実現しません。静子が太宰にすがろうとするのは、単純に愛していたからということもありますが、といったこともありました。そして、今後の取るべき処遇を太宰にゆだねるようにお伺いを立てるも、その返事は、という、どこか他人行儀なもので、それを読んだ上記は昭和21年(1946)の秋の出来事ですが、10月までに何度か手紙のやりとがあり、そうクギを刺し、手紙のやりとりはいったん終了。その言葉どおり、太宰は11月に帰郷します(静子は縁談を断る)。その後の流れは以下の通りです。昭和21年11月に太宰が帰京。人気作家として超多忙な日々を過ごす。静子への約束の手紙は出さず。↓12月に入り、静子から催促の手紙が太宰のもとに届く。↓「1月6日過ぎに三鷹の仕事部屋へ寄って下さい」という太宰からの返事が届く。↓年が明けた二人は吉祥寺の小料理屋「コスモス」に出向きますが、そこで太宰が言ったのは次の一言。太宰は、執筆にあたり、静子が書いていると手紙で知らせてきた「母の思い出の日記」(いわるゆ「斜陽日記」)をどうしても読みたかったのです。そう答えた静子の心中を思い図られますが、さまざまな想いが去来したことでしょう。コスモスを出た二人は、玉川上水のほとりを歩き、そこで太宰はに静子を抱きすくめ、激しく接吻しました。昭和22年(1947)2月21日、「斜陽」執筆のため太宰は西伊豆の三津浜へ向かい、途中小田原で静子と落ち合い、日記を受け取ります。それを元に太宰は「斜陽」を書き始め、同年の6月には脱稿。同作は「新潮」7月号~10月号に掲載、12月に単行本で刊行し、大ベストセラーとなりました。 静子が手渡した「斜陽日記」は、小説の前半部分はほぼそのまま取り込まれ部分が多く、小説の「素材」というより「原型」といっていいものでしょう。斜陽日記(小学館文庫)【電子書籍】[ 太田静子 ] そして、西伊豆で執筆中の3月のある日、太宰が突如、静子の元を訪れます。そのとき、静子は太宰に告げました。少し間をおいた後、と喜んだといいます。しかし、本心としては困惑もあったでしょう。いや、むしろそっちの方が大きかったかもしれません。同じ頃、そこへもってきて、静子の妊娠です。その3月の下旬、静子は太宰から次のような内容の手紙を受け取ります。なかなか身勝手な言い分ですが、一人、下曾我の山荘に残され、太宰の動向もわからない身重の静子は不安でいっぱいだったでしょう。その後、今後のことを相談したいと偽名で連絡をとった後、5月24日に静子は弟の通とともに三鷹の太宰のもとを訪れました。結論からいいますと、このとき、太宰にとって静子は、あきらかに「気が重い」存在になっていたのでしょう。太宰行きつけのお店をはしごしますが、という感じで、あきらかに太宰は静子を避けています。ここまであざといと誰でも気づくと思いますが、そんな斜陽改版 (新潮文庫) [ 太宰治 ]二人が会った最後の日以降、その後、同じ年(昭和22年)11月12日に下曾我の大雄山荘で女の子(後の作家・太田治子)を出産しました。女児誕生の3日後、静子の弟の通が太宰のもとを訪れます。この2つが通がもってきた用件でした。太宰は承諾し、和紙に毛筆で以下の「證」をしたためます。證 太田治子(はるこ)この子は 私の可愛い子で 父をいつでも誇って昭和二十二年十一月十二日 太宰治「治」の一字を与え、「治子」としたわけですね。また、静子への伝言として、とも言ったそうで、実際にその後、静子から要請で再三お金を送金します(手紙を含む実務を行ったのは、愛人の山崎富栄)。また、静子から日記を借り受ける際に「下曾我へ帰った母(注:静子)は、ここで産みたい、太宰が来るのを待とうと思った。が、太宰から連絡はなかった。7月30日に、<新潮>7月号を買って「斜陽」第1回を読み、自分の日記が役に立っているとよろこび、太宰に手紙を書く勇気が出て、約束の1万円もお願いできると元気が出た。– 直ぐに電報が送られてきた。コンゲツチュウニ 一マンオクル アンシンセヨ出典:太田治子・著「明るい方へ」明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子【電子書籍】[ 太田治子 ]戦後間もない混乱期で、激しいインフレで紙幣価値の変動も大きかった当時。1万円が今の価値でいくらになるのか厳密には測りかねますが、大金であることは間違いありません。(昭和22年年の銀行員大卒初任給が220円だそうで、ざっくり現在だと100倍~200倍くらいの間くらいの計算になる感じでしょうか)ちなみに、流行作家となった太宰治の昭和22年の所得税は、だったようです(高額の税金の支払いに頭を悩ませていたといいます)。太宰は山崎富栄とともに、昭和23年6月13日(日)の深夜、三鷹の玉川上水で入水心中します。太田静子との子、治子が生まれてから半年ちょっと後の出来事ですが、その間、(太宰に近しい編集者・野原一夫は協力するので、会うように勧めたが、富栄への露見を恐れて太宰は話に乗らなかったようです) 太宰の死後、遺産相続の問題が生じた際、津島家は井伏鱒二と相談し、静子に10万円を渡したとされます。(「斜陽日記」は静子の元に返され、代わりに静子宛ての太宰からの手紙を井伏に渡す)その後、女手一つで治子を育てた静子は、昭和57年11月24日、肝臓がんにより逝去します。映画の予告編で、静子を演じる沢尻エリカさんが「私、愛されない妻より、ずっと恋される愛人でいたい」と言っています。しかし、実際の太宰治と太田静子の関係を時系列でたどってみれば、そんなきれいごとで済むような間柄、関係ではなかったことがよくわかるでしょう。(もちろん、映画は事実を元にした上でのフィクションですので、実際と大きく違っていても問題はないのですが)「人間失格」小栗”太宰”が愛人・沢尻エリカと激しくキス 宮沢りえ・二階堂ふみを翻弄する危うい色男ぶりが炸裂 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち… 絶対観に行く— Yuさん (@Yu_Tele) 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』試写を観た人の感想 人間失格【映画】2019沢尻エリカが演じる愛人太田静子と太宰治の関係 よんどく 2019年9月2日 / 2019年9月3日 豪華キャストで公開前から話題になっている 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』 。 日本映画界きっての鬼才・大島渚監督が、近代日本国家の縮図というべき、強権的な家父長制度に支配された一族の忌まわしい歴史を批判的に描いて絶賛を博した野心的傑作。 ¬éæBÎzÌ@@@@@@@¾ÉÆRèxhÍAºaQRNUPRúiújÌ[éAOéÌÊìã
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Sµ½B@@@@@@@@ºaåwa@Ÿ§¸ÌÊAÌàÆ»¾µAPPiS57jÉèp𵽪ApãÌoßÍæÈ©Á½B@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 3月7日から、太宰は「人間失格」執筆のため、短い帰京はあるが3月末まで、下曾我が近い熱海の起雲閣に 籠った。筑摩書房の古田の手配によるもので、古田には、太宰に静子・治子を会わせたいという心遣 … 東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、【***】の私の生れた家に行かざるを得な … 『人間失格太宰治と3人の女たち』監督:蜷川実花出演:小栗旬,宮沢りえ,沢尻エリカ,二階堂ふみ,成田凌,千葉雄大,瀬戸康史,高良健吾,藤原竜也他tohoシネマズ西宮で4本ハシゴの2本目。読書好きを自負しておりますが、太宰治って読んだことがない。 このページのキーワードは、青空文庫の「人間失格」のテキストを元に、機械的に生成されました。 そのため、一部不適切なさくいんの配置が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。