自由枠:一場 靖弘(投手・明治大)自由枠:該当無し1巡目:該当無し2巡目:渡辺 恒樹(投手・NTT東日本)3巡目:該当無し4巡目:西谷 尚徳(内野手・明治大)5巡目:塩川 達也(内野手・東北福祉大)6巡目:大広 翔治(内野手・東洋大)7巡目:平石 洋介(外野手・トヨタ自動車)育成ドラフト参加せず 2004年11月2日にプロ野球参入が決定した、2018年時点で現存するプロ野球球団の中で最も歴史の浅い球団である楽天イーグルス。※ピックアップ選手は熟考の上、各年1名だけに厳選させて頂いていることをご了承ください。最終更新日:2019年10月17日目次自由枠:一場 靖弘(投手・明治大)育成ドラフト名選手が名指導者とは限らず高校ドラフト大学・社会人ドラフト育成ドラフトイーグルスの安打製造機高校ドラフト大学・社会人ドラフト育成ドラフトイーグルスの捕手から日本の捕手へ高校ドラフト大学・社会人ドラフト育成ドラフト球団初の俊足自慢1位:藤原 紘通(投手・NTT西日本)育成意地で掴んだローテーション2008年のドラフト6位で入団した辛島投手。1位:育成外れ年とは言わせないこの年は育成含めて6名の指名で終わり、小粒な年となった。1位:塩見 貴洋(投手・八戸大)育成「シリーズ男」では終われない迎えた翌シーズンは前年終盤の活躍もあって期待も大きかったが、再び不安定な面を露呈して2勝9敗に終わる。1位:武藤 好貴(投手・JR北海道)育成見事な転身からチームの顔となる岡島豪郎選手はその貪欲さ、ひたむきさはもちろんだが、明るい性格でチームを盛り上げるリーダー的な存在でもある。1位:森 雄大(投手・東福岡)育成言わずと知れた生え抜きエースそれはさておき、楽天イーグルスに2位指名で入団すると、パ・リーグでは1958年杉浦忠氏(南海ホークス)以来55年振りとなるその後も順調に勝ち星、そして持ち前のタフな投球スタイルで奪三振、完投をマークしチームの絶対的なエースに成長した。2018年シーズンで最も印象的だったのは、やはり二桁勝利がかかったシーズン終盤でしょう。当初は不安定な内容と自身のコンディション不良もあって勝ち星が伸びず、9勝で終わると思われていた。しかし、雨天中止で1試合10月13日までずれ込む日程になったことが功を奏し、10勝目を掛けた登板機会が与えられた。1位:育成栄光から挫折、再び掴んだ新たな栄光そして迎えたプロ入り2年目の2015年、セットアッパーとしてシーズンを迎える構想を練っていたものの、守護神ミコライオの怪我による離脱が発生し、急遽クローザーとして開幕を迎えることになった。2018年、すぐにでも100セーブ到達と思われていたが、予想に反する救援失敗が続いた。開幕からセ・パ交流戦中までの成績が0勝5敗2セーブにとどまり、6月からは二軍調整を余儀なくされる。結局、一軍復帰後もこれまでのような伸びのあるストレートと切れのあるスライダー、ブレーキのかかったチェンジアップが本領発揮とはいかなかったものの、9月16日の対ロッテ戦で高校時代から注目を集めた左腕がプロ入り後に史上最年少100セーブを達成するとは誰もが予想しなかっただろう。1位:育成剛腕から、真の本格派右腕を目指すその後も先発やチーム事情に合わせて中継ぎ登板するなど出場機会はあるものの、コントロールの精度に苦しみ防御率の高さが目立つことになる。1位:オコエ 瑠偉(外野手・関東第一)育成ひたむきな好青年がチームを支える続く2年目のシーズンでは不動の1番打者として打線を牽引。2番に外国人選手ペゲーロを配置する超攻撃打線でチームのAクラス入りを支えた。しかし、2018年シーズンは怪我に苦しんだこともありスランプを経験することになった。1位:藤平 尚真(投手・横浜高)育成無名の守備固めから、不動の外野手へ急成長1位:近藤 弘樹(投手・岡山商)育成慶應のエルドレッドが和製大砲を目指す開幕から二軍でじっくりと経験を積みながら一軍での出場機会を伺った。1位:辰己 涼介(外野手・立命館大)育成イーグルスの次世代を担う扇の要平成最後のドラフト会議となったこの年は藤原恭大、小園海斗、根尾昂といった高校生が注目された。1位:小深田 大翔(内野手・大阪ガス)育成名門高校の主将を経て名内野手へ羽ばたくか高校野球の名門、智弁和歌山高校で主将を務めた期待の好打者。Copyright © 青木宣親糸井嘉男松井秀喜イチロー新庄剛志金本知憲秋山幸二門田博光福本豊若松勉山本浩二張本勲広瀬叔功山内一弘プロ野球を見たくても、最近はテレビで放送していない...そんなお困りの人に必見な情報はこちら。メジャーでも活躍した青木宣親は、2018年時点で日本のプロ野球での通算打率が「.329」と日本歴代最高打率を誇ります。全盛期は盗塁王を獲得するなど走力も高く、守備範囲も広いことから、走攻守三拍子揃った選手といえます。メジャーでも高打率を残すほど、青木宣親のバットコントロールは評価が高く、36歳の2018シーズン時点で日米通算2220本のヒットを記録しています。あと3~4年以上は活躍が見込めそうなので、通算2500本以上のヒットを期待できるのではないでしょうか。シーズン打率3割以上を7回記録し、首位打者を3回獲得しています。青木宣親の走力は高く、2018年終了時点で日米通算265盗塁を記録しています。走力を生かした広い守備範囲を誇り、決して強肩ではないのですが送球精度が高く、外野手としての守備力が非常に高いことで知られています。走攻守三拍子そろった選手で、外野手としてベストナイン7回、ゴールデングラブ賞6回受賞しています。走攻守の全てにおいて高い能力を持っているのが、糸井嘉男。投手として入団し野手転向したため、本格的に活躍ができたのは28歳のシーズンからで、その後の10シーズンで1504本のヒットと158本塁打、288盗塁まで記録を伸ばしています。規定打席に到達した10シーズンで打率3割以上を8回記録し、首位打者のタイトルも1回獲得しました。盗塁数も11年連続二桁盗塁を記録したり、35歳シーズンの時に51盗塁を記録し日本プロ野球の最年長盗塁王に輝きました。年齢を重ねても衰えを感じさせないのが糸井嘉男の魅力と言えるでしょう。糸井嘉男は元投手だけあり、最速151km/hの強肩と精度の高い送球は、プロ野球の歴史の中でも屈指と言えるでしょう。また俊足を生かした守備範囲は広いため、センターを守ったり、強肩を生かすためライトを守ったりします。外野手としての守備力は相当高いレベルを誇ります。攻撃力・守備力ともに申し分ない実力で成績を残し続け、衰えを知らない糸井嘉男は、外野手としてベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回受賞しています。松井秀喜は、長距離打者としてメジャーで唯一通用した日本人と言えるでしょう。日米通算2643安打、日米通算507本塁打を記録しました。メジャーで通算175本塁打以上を放つ日本人野手は今後現れないかもしれない、それほどの記録です。日本に在籍した10年間で332本塁打を放ちましたが、入団からの10年間の本塁打数は王貞治に次ぐ日本のプロ野球で2番目のスピード記録となります。生粋の長距離ヒッターでしたが、アベレージも高い記録を残し、本塁打王3回、打点王3回、首位打者1回のタイトルを獲得しています。メジャーではタイトルに届くほどの記録は残すことができませんでしたが、メジャーでシーズン31本塁打や、5度のシーズン20本塁打以上を記録したり、日本人の長距離ヒッターとして最高の成績を残しました。松井秀喜は、肩は強い方で守備力は決して低いわけではなく、外野手としてゴールデングラブ賞も3回獲得しています。しかし守備範囲などはそこまで広いわけではなく、メジャーでは評価はいまいち。松井秀喜は外野手として日米通算で「1768試合連続出場」しました。日米通算というメジャーの試合数も入れることになりますが、日本人歴代第3位という記録になります。通常はメジャーではターンオーバー制で休暇を必ずどこかでとるのですが、誠実な松井秀樹のこだわりが認められ、試合に出場し続けました。誰もが認める日本人の史上最高の選手「イチロー」。2018年時点で日米通算4367安打は世界記録、メジャーで残したシーズン262安打はメジャー&世界記録。メジャーの殿堂入りが確実視される、野手だけでなく投手含めても、日本の歴代No1野球選手といって間違い無いでしょう。イチローの記録を見ても、走攻守三拍子揃った選手ということがすぐに伝わると思いますが、簡単に紹介しましょう。まず打撃力ですが、日本のプロ野球では通算打率.353、メジャーでは通算打率.311と、ともに日本人のトップの成績を残しています。また長打力も兼ね備えており、日米通算235本塁打を記録しており、アベレージを狙わなくていいなら30本塁打以上は残せると、イチロー本人も、周囲のプロ野球選手やメジャーリーガーたちも口を揃えて言われるほど。メジャーで30本塁打を残せば、あの松井秀喜の全盛期と同等以上の長打力を持っていたことになります。次に走力。日米通算708盗塁は、あの福本豊に次ぐ日本人2番目の記録です。足も速いのですが、盗塁成功率がずば抜けて高く、投球フォームを盗んで盗塁するタイプ。間違いなくプロ野球史に残る走力の持ち主です。最後に守備。レーザービームという言葉は今ではよく使われますが、元はイチローに使われた言葉です。強肩に加え抜群のコントロールで、ファンを楽しませます。また俊足を生かした守備範囲は広く、外野手の守備力は高い評価を得ています。日本から数えると外野手として17年連続17回のゴールデングラブ賞・ゴールドグラブ賞を受賞しています。とにかく全てが別格な選手こそ、イチローなのです。新庄剛志はその奇怪で魅力的な行動から、ファンに愛され、野球界に名を残していますが、選手としても一流です。特に守備力は『超』がつくほど一流。ゴールデングラブ賞を10回獲得しました。ゴールデングラブ賞を受賞資格があったシーズンが11回、その中で10回受賞しているので守備力の高さがわかります。天然・天才と思われがちな新庄剛志でしたが、外野手の守備に対しては、しっかりとした守備理論を持っています。まずはポジショニング。配球やカウント、そして打者の特徴などを考慮して、ポジショニングしています。独断で守備位置を大幅に変えることが許されるほど、チームからの新庄剛志の守備への信頼は厚く、外野手の三人ををまるで指揮するように立ち振る舞いました。アナウンサーがよく新庄剛志のナイスプレーに対して「新庄剛志がそこにいたー!」というような実況をしていたほどです。次に落下地点への移動。新庄剛志は守備の時に構えません。内野手と違い打球を補給するまで時間がある外野手は、構えて姿勢を低くしてしまえば起き上がるのに時間がかかってしまうので、あえて構えず軽くステップを踏み落下地点まで一直線で向かいます。最後に強肩と正確なスローイング。150kim/hに近い球速、遠投は130mを誇る強肩の持ち主であり、正確なスローイングを行うためにボールの回転に気を配りました。このように全てにこだわり抜いた超一流の外野の守備を誇るのが新庄剛志です。新庄剛志にはいろんな伝説があります。一部を紹介します。金本知憲は、連続試合出場記録は「1766試合」と日本のプロ野球で歴代第3位、連続試合フルイニング出場数は「1492試合」は世界記録を持っています。そういったタフネスから鉄人と呼ばれたりもしますが、選手としても打点王を獲得する勝負強さを武器にチームから必要とされ続けました。金本知憲は、通算476本塁打(日本のプロ野球歴代10位)、通算2539安打(日本のプロ野球歴代7位)、通算打率.285、通算167盗塁を記録するなど、高い打撃力と走力を兼ね備えていました。トリプルスリーも1度達成しています。また勝負強いバッティングでファンから愛されました。とにかく連続フルイニング出場とは、試合に出るだけではなく、プレイボールからゲームセットまで全てのイニングで出場する必要があります。1打席立つだけと、全イニング出場するのとでは、体力の使い方が異なり、平均3時間を超える試合に出続けるのは、精神的にも体力的にも疲れることこの上ないでしょう。金本知憲は、そんなハードルが高い連続試合フルイニング出場数を「1492試合」記録しました。連続イニング出場数で言えば「13686イニング」。どちらも世界記録となります。手首を骨折しながらヒットを打った伝説があったり、金本知憲はまさに鉄人という称号にふさわしい選手でした。秋山幸二の身体能力と運動神経はずば抜けて高く、50メートル5秒台の俊足、遠投120メートルの強肩、まさにメジャーリーガー並みでした。2019年時点でまだ日本では誰もが成し遂げていない40本塁打40盗塁まで、あと2盗塁と迫るほどでした。秋山幸二がレギュラーとして活躍し始めてから、3年連続40本塁打以上、9年連続30本塁打以上を記録したり、51盗塁や20盗塁以上を7度記録から、身体能力の高さがわかります。ちなみにタイトルとして、本塁打王1回、盗塁王1回獲得しています。ベストナインは8年連続8回獲得しました。『バック宙ホームイン』は秋山幸二の代名詞で、大一番でのホームランの時によくバック宙ホームインをして、ファンを魅了しました。秋山幸二の俊足を生かした広い守備範囲と強肩は、外野の守備の名手としてはいつも名前が出てきます。特に守備範囲は数値上もすごく、レンジファクター(守備範囲を数値化したもの)でパリーグ外野手1位を7回獲得しています。外野手としてゴールデングラブ賞を11回獲得(外野手として日本のプロ野球の歴代2位の記録)しました。門田博光といえば長打力。あの野村克也や王貞治といった大物が『ホームランはヒットの延長』と諭しても、『ホームランの当たり損ねがヒット』と反論し、本塁打に強いこだわりがありました。反論する代わりに努力は惜しまず、結果で周囲を認めさせました。門田博光は、40本塁打以上3度、30本塁打以上9度を記録するなど、日本のプロ野球の中でも指折りの長距離打者といえます。本塁打王3回、打点王2回獲得し、ベストナインを7回(外野手部門3回、指名打者部門4回)獲得しました。ちなみに通算567本塁打はNPB歴代3位の大記録です。実は門田博光のバットコントロールは、当時の野村克也が認めているほどで、『ホームラン狙いをやめれば4割打てる』と自負していました。実際に通算打率.289と高い数値を残しており、シーズン打率3割以上を9回も記録しています。また守備力も高く、怪我をするまではライトの守備を任されていました。福本豊の通算盗塁数「1065盗塁」は、日本のプロ野球歴代1位です。日本プロ野球のシーズン最多盗塁数「106盗塁」を記録したり、13年連続盗塁王に輝いたり輝かしい記録をたくさん保持しています。福本豊は、通算打率.291、通算208本塁打、ダイヤモンドグラブ賞12回受賞(日本のプロ野球歴代最多)など、走攻守すべてにおいて高い数値を残しています。福本豊は、俊足もそうですが走塁技術も非常に高く、加速技術とスライディング技術がずば抜けていたことはもちろん、投手の癖を見つける努力も怠らず、スタートタイミングも高い技術を持っていました。盗塁に必要な『スタート・加速・スライディング』の3つの技術は決して天から授かったものではなく、努力で勝ち取った技術と言えるでしょう。そんな福本豊の通算盗塁成功率は「.781(1065盗塁成功、299盗塁死)」と、ずば抜けて高いわけではなく、299盗塁死は日本記録でもあります。とはいえ、圧倒的な通算盗塁数を見ると、やはり福本豊の盗塁技術は日本一と言っても過言ではありません。シーズン打率3割以上7回、通算打率.291を記録したり、そのバットコントロールを評価する人もいますが、実は長打力も兼ね備えていたのが福本豊のすごいところ。二桁本塁打を11回記録し、通算208本塁打を放っています。また俊足を生かした守備力の評価は非常に高く、フェンスをよじ登ってフライをキャッチしたりする派手な一面から、打球の落下地点まで一直線に駆け込む技術力の高さなど、派手さと技術力の高さと双方を兼ね備えていました。外野手としてダイヤモンドグラブ賞12回受賞は2019年時点でもプロ野球最多記録です。国民栄誉賞を断ったり、天然な言動から、天才なのかと思われていますが、実は努力家。打撃もプロに入ってしっかり練習し、数年かけて活躍できるレベルになりました。もちろん盗塁技術も福本豊の努力の賜物です。若松勉は、身長168cmという小柄な体格でしたが、ヤクルトで長きにわたりレギュラーを勝ち取り続け、特にバットコントロールが秀逸で通算打率.319という素晴らしい成績を残しました。若松勉は、通算打率.319(日本のプロ野球歴代3位)、通算2173安打、シーズン打率3割以上12回(日本のプロ野球歴代3位)という記録を残し、とてもアベレージに特化していると思われがちです。実際は首位打者も2回獲得するなど、その絶妙なバットコントロールは疑う余地はありません。しかし168cmの体格で、シーズン二桁本塁打を12回、通算220本塁打を記録するなど、実は長打力も兼ね備えており、打順は3番を任されていました。長打に短打に状況に応じたバッティングから、外野手としてベストナインを9回獲得しました。山本浩二は、5年連続40本塁打以上を記録するなどその長打力が秀逸で、通算536本塁打(日本のプロ野球歴代4位)を記録しています。走力・守備力も高く、走攻守すべてにおいて高いレベルで広島カープの黄金時代を支えました。山本浩二は実は少々遅咲きの選手。もともと腰痛持ちでしたが、悪化してから、腰に負担をかけないように打撃技術を高め、広角打法を身につけました。そこから打撃成績はうなぎのぼりで、本塁打王4回、打点王3回、首位打者1回と数々のタイトルを獲得していますが、そのほとんどが30代になってからです。また通算打率.290とアベレージも非常に高い数値を残しており、シーズン打率3割以上を7回記録しています。その打撃力は日本のプロ野球歴史の中でもトップクラスで、外野手としてベストナインを10回も受賞しています。山本浩二の身体能力は非常に高く、11年連続二桁盗塁を記録するなど、通算231盗塁を記録しています。また山本浩二は元投手のため、強肩の持ち主。走力を生かしたその守備範囲と強肩で、外野手の守備力は歴代最高クラスと言われています。ダイヤモンドグラブ賞(後のゴールデングラブ賞)を10年連続10回受賞しています。山本浩二は、広島カープのを支えたといより、自ら作り上げたといっても過言ではありません。山本浩二が入団するまで広島カープは創設19年でAクラス1回という弱小チームでしたが、衣笠祥雄とともにクリーンナップをつとめ、5回のリーグ優勝に貢献しました。張本勲は、日本のプロ野球史の中でも指折りの強打者です。日本のプロ野球歴代1位の記録として、通算3085安打、首位打者7回、シーズン打率3割以上を16回などがあります。張本勲の打撃のすごいところは、ヒット数だけではなく、長打力や走力も兼ね備えていることです。通算500本塁打&300盗塁を記録しているのは、日本のプロ野球の歴史上張本勲だけです。また、通算打率3割300本塁打300盗塁という『通算トリプルスリー』を達成したのは張本勲だけです。今ではダウンスイングではなく、水平に振り抜くスタイルが指導されますが、張本勲が活躍する当時では珍しく、その独特な水平に振り抜くスイングから『スプレー打法』と呼ばれたりしました。内角外角のボールを苦にせず、左右に打ち分ける器用さで、ヒットを量産しました。今でも日本のプロ野球のみで3000本安打を達成しているのは張本勲のみ。首位打者7回獲得は、イチローにならんで日本のプロ野球歴代最多です。そのほかにも9年連続シーズン打率3割以上を記録したり、そのバットコントロールは日本球界で屈指と言えます。張本勲は、20年連続二桁本塁打を放ち、通算504本塁打は日本のプロ野球歴代7位という記録です。さらに俊足で16年連続シーズン二桁盗塁、通算319盗塁を記録しました。長打力・走力も兼ね備えた豪打の持ち主でありましたが、本塁打王や打点王、盗塁王を獲得することはありませんでした。張本勲は、俊足を生かした広い守備範囲は定評はありましたが、肩は強くなく、年齢を重ねて脚力が弱くなったあとは、守備固めで交代させられることも多くなりました。そのため張本勲の外野手としての守備力の評価は高かったり低かったりします。広瀬叔功は、1950~1960年代を代表する走攻守三拍子そろったリードオフマンです。通算盗塁数は日本のプロ野球歴代2位の596盗塁を誇ります。また外野の守備範囲は日本のプロ野球史もっとも広いと言われるほどの守備力を誇ります。通算596盗塁は、日本のプロ野球歴代2位の記録ですが、それ以上にすごいのが300盗塁以上した選手の中で、通算盗塁成功率は歴代1位の82.9%(596盗塁成功 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123盗塁死)という化け物じみた数値を残していることです。盗塁が必要なシーンで盗塁を仕掛ける、いわゆる盗塁のプロフェッショナルであり、広瀬叔功には盗塁の美学がありました。1964年に31回連続盗塁成功、1968年にシーズン盗塁成功率95.7%(44盗塁成功、2盗塁死)、といった広瀬叔功の美学にそった日本記録も保有しています。広瀬叔功は高い身体能力を誇り、強肩と俊足を生かした守備力は日本のプロ野球史上No1と言われるほどです。センターを守っているのに、レフトやライトにフライが上がると『広瀬任せた』と声がかかるほど。そういった守備範囲の広さから次のような逸話があります。広瀬の守備範囲は両翼のポールまでダイヤモンドグラブ賞が設立されたのが遅かったため、外野手での受賞回数は1回と少ないですが、若い時期からダイヤモンドグラブ賞があれば、間違いなく10回以上は獲得していたでしょう。山内一弘は、通算396本塁打、通算打率.295という記録や、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回を獲得するなど、球界を代表する外野手でした。職人気質の打撃技術で、ヒットやホームランを量産し、川上哲治の次の2000本安打達成者でもありました。山内一弘は、何と言ってもその打撃術。理論に基づいた打撃技術は、多くの名手に参考されました。内角、外角、低め、高め、それぞれのコースに逆らわない打ち方、技術に独自理論をもっており、引退後もコーチとして様々な球団からオファーが止みませんでした。その打撃論は、あの稲尾和久や野村克也にも認められるほどで、そして中西太とはお互いに認めるライバルでもありました。いかがでしたか。打撃力があるレフト、守備範囲が広いセンター、強肩のライト、といったような傾向はあるものの、今回紹介した選手は、何かに特化した外野手か、走攻守3拍子揃った、外野手として日本の野球界に名を残した超一流の選手たちです。皆さんの考えるプロ野球歴代最高の外野手はだれでしょうか。青木宣親糸井嘉男松井秀喜イチロー新庄剛志金本知憲秋山幸二門田博光福本豊若松勉山本浩二張本勲広瀬叔功山内一弘青木宣親糸井嘉男松井秀喜イチロー新庄剛志金本知憲秋山幸二門田博光福本豊若松勉山本浩二張本勲広瀬叔功山内一弘BatQue(バトクエ)は、この世界のハッキリしていないことに、あなたの投票で決着をつけるアンケートサイトです。あなたが作ったアンケートにみんなが答えたり、気になるアンケートに投票したりしよう!