ヨハネによる福音書18章15~18/25~27節 説教者 山岡創牧師 ◆ペトロ、イエスを知らないと言う18:15 シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、18:16 ペトロ…

ヨハネによる福音書3章16節 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神の愛ゆえに 日付: 2015年04月22日(水) 祈祷会 ヨハネによる福音書説教01 主の2016年1月3日 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

 続いてヨハネによる福音書は、わたしたちに「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」と宣言します。

の世界と人間を創造されたみ言葉を賛美していました。また、キリストがみ言葉として、人間となる前にも神の民イスラエルを訪れ、民に拒まれたことを賛美していました。そして、彼らは人間となってこの世に来られ、十字架と復活を通して神の独り子としての栄光を現され、今は聖霊と御言葉を通して教会の主として臨在しておられるみ言葉を賛美していました。    具体的には、教会の礼拝の中でなされている洗礼式、聖餐です。洗礼はキリストと一体となる儀式です。神の御子キリストと結び合されて、わたしたちは神の子とされました。そして、キリストが招かれる聖なる食卓、すなわち、聖餐式にあずかり、キリストの体であるパンを食べ、キリストの血であるぶどう酒を飲み、十字架と復活のキリストに結び合されて、わたしたちは御国の喜びにあずかるのです。この喜びは、人によって、人の意志によって、人の欲によっても実現することはできません。神がロゴスであるキリストを通してお選びになられた者だけに、ヨハネによる福音書の表現では「神によって生まれた」者だけに許されているのです。

イザヤ書29章18~19節 ヨハネ福音書9章35~41節: 2008/09/28: 降誕のイエスを宣べ伝える: 佐伯幸雄先生: イザヤ書53章1~3節 ヨハネ福音書7章25~31節: 2008/11/30 待降節第1主日礼拝: 人間にはできないことも、神にはできる: 村上伸先生

 ヨハネによる福音書は、わたしたちに主イエス・キリストを二つの言葉の象徴を用いて紹介しています。「言」と「光」です。  驚くべきことは、旧約聖書の中で、そして旧約の時代に、ロゴスである主イエス・キリストは、さまざまに顕現され、神の民イスラエルをご自身に招かれていました。たとえば、ヘブライ人への手紙1章1節です。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られた」と証言があります。キリストは肉体をまとわずにわたしたちの世界にやって来られて「自分の民」、イスラエル、ヨハネによる福音書の言い方ではユダヤ民族を招かれていたのに、彼らは数々の預言者たちを迫害し、彼らが預言する神のみ言葉を拒んで、ロゴスであるキリストを受け入れませんでした。それがヨハネによる福音書が12節で語っていることです。

 どうか、今度はわたしたちをアンデレとフィリポとして、身近な者たちのところにお遣わしくださり、キリストを証しさせ、この教会に誘えるようにしてください。 15章1-8節: わたしの愛の中にとどまりなさい: 15章9-17節: 迫害の時に備えて: 15章18節-16章4 …  続いてヨハネによる福音書は、わたしたちに「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」と宣言しています。ヨハネによる福音書は、わたしたちに二つのことを述べて、ナザレのイエスが永遠の神であることを証ししました。  ですから、10節でヨハネによる福音書は繰り返し「言は世にあった。世は言によって成った」と記すのです。ロゴスであるキリストは、父なる神と共に永遠から存在し、わたしたちの世界を創造されたお方であると、ヨハネによる福音書はわたしたちに語りかけているのです。    ヨハネによる福音書は、ロゴス讃歌を用いて、わたしたちの集まりであるこの教会の喜びを告白しています。 聖書 ヨハネによる福音書21章20~25節 説教者 山岡創牧師 ◆イエスとその愛する弟子 21:20 ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸(むな)もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切(…

    イエス・キリストの父なる神よ、ナザレのイエスを、わたしたちの神と信じる信仰を与えられ、心より感謝します。

 そして、嬉しいことに、言は今もこの世におられます。キリストの共同体に聖霊と御言葉を通しておられます。ですから、洗礼者ヨハネのようにキリストを証しするキリスト者たちと共におられ、彼らが語ります福音宣教を通して、キリストは御自身を受け入れ、御自身の御名を信じる者たちを神の子とし、彼らに永遠の命をお与えになっているのです。

  神はこの世界を創造されました。神は時間と空間を創造されました。   ひとりの人が選ばれ  今朝の御言葉を通して、主よ、あなたの受肉の恵みを覚えることができて感謝します。わたしたちもアンデレやフィリピのように、身近な者に教会に誘われ、礼拝の説教を通して、キリストの臨在に導かれました。 聖書 ヨハネによる福音書20章19~23節説教者 山岡創牧師 ◆イエス、弟子たちに現れる20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和…   主イエスは、ガリラヤに行こうとされました。その途上で主は、フィリポに出会われました。そして、主イエスは、直接フィリポを弟子に召されました。「わたしに従いなさい」と。  ヨハネによる福音書は、わたしたち読者に今、こう伝えようとしているのです。人間となったみ言葉は、過去にガリラヤでナザレのイエスとして御国を宣べ伝え、人々を救い、癒された。今、復活の主キリストとして、聖霊とみ言葉を通して、われわれに語りかけ、われわれの救いの働きをなさっておられる、と。だから、初代教会のキリスト者たちは、彼らの教会の礼拝において「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」と告白しているのです。   また、ヨハネによる福音書も同じです。1章に物事の始まりがあり、21章には物事の終わりがあります。そして、この福音書は、その間にナザレの主イエス・キリストのしるしによる活動と最後のしるしである受難と復活を物語っています。すなわち、ナザレの主イエスの受肉と贖罪の死と復活を物語っています。 Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。

ヨハネによる福音書16章25~33節説教者 山岡創牧師 ◆イエスは既に勝っている16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願う…  ヨハネの証しを聞いて、ペトロの兄弟アンデレともう一人の人物が主イエスの泊まられている家を尋ねました。そして、主イエスと宿を共にし、主イエスと交わり、二人は主イエスをメシアと信じました。

 「イエス・キリストの中に」とは、わたしの信仰体験によると、教会の中にわたしを入れることです。教会の中にわたしを入れ、わたしはそこで礼拝を通してキリストの説教を聞きました。そして、教会の中でキリストを聞き続ける中で、わたしはキリストを自分の救い主と信じて、受け入れました。そして、教会の中で、礼拝において洗礼式で教会員たちの前で信仰を言い表し、洗礼を授けられ、わたしはキリストと一つにされました。こうしてわたしは、キリストを信じて、洗礼を通してキリストの中に自分を入れてしまいました。 ヨハネによる福音書19章28~30節 説教者 山岡創牧師 19.28この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇(かわ)く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。19.29そこには、酸(すっぱ)いぶどう酒を満たした器(うつわ)が置い…  このロゴス讃歌で、わたしたちは教会の礼拝の中で初代教会のキリスト者たちがどんな喜びに満たされていたか、推測することができます。16節で「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」と、彼らは告白しています。