(C)2001 PAGE ONE All Rights Reserved. 渡辺徹の「約束」歌詞ページです。作詞:大津あきら,作曲:鈴木キサブロー。(歌いだし)ちいさな夢を唇に歌って君は 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 SpotifyとかApple Musicを適当にいじっていたら、いつの間にか近田春夫&ビブラトーンズの「ミッドナイト・ピアニスト」「バイブラ・ロック」が追加されていたので良かった。近田春夫の作品は昨年あたりにごっそり追加されていたのだが、ビブラトーンズ時代のは入っていなかった。あと、「星くず兄弟の伝説」の映画サウンドトラックではなく、オリジナルの方も1曲目を除いて、今回、初めて追加されたのではないだろうか。 近田春夫&ビブラトーンズの作品についてだが、4曲入り12インチEPの「バイブラ・ロック」が1982年にリリースされた時に旭川のどこかのレコード店で買っていて、かなり気に入っていた。きっかけはテレビで「地球の片隅で(砂漠編)」のライヴ映像を観たことだった。A面の「区役所」「恋の晩だな」は特に独特のノリがあってカッコよく、実家のステレオでかけながら一人でよく踊っていた。 「ミッドナイト・ピアニスト」はずっと聴いたことがなかったのだが、相模原で一人暮らしをしていて大学生だった1988年にこれと「バイブラ・ロック」、シングル曲と未発表曲を集めたアルバム「ビブラトーンズFUN」がCDでリリースされ、これを買って聴いて度肝を抜かれた。同じぐらいの時期に中学生の頃に大好きだったプラスチックスのCDも初めてリリースされて、これもよく聴いていた。デビュー・アルバム「ウェルカム・プラスチックス」の全曲と他の楽曲が入った「FOREVER PLASTICO」というコンピレーション・アルバムであった。 タイミングとしてはこの前の年に、President BPM名義での唯一のアルバム「HEAVY」、そして、この翌年に人力ヒップホップ・バンド、ビブラストーンのライヴ・アルバム「Vibra is Back」をリリースしている。 近田春夫&ビブラトーンズの音楽は当時の多くの日本語のポップスとは異なり、東京の遊んでいる若者のリアリティーを批評性あふれる方法で表現し、それをものすごくカッコいい音楽性と大衆性のあるメロディーにのせて歌っていたという点で、素晴らしいと思うのである。これらにアクセスするためのハードルが下がったのは、とても価値があることだと思う。 近田春夫&ビブラトーンズは、近田春夫が窪田晴男、福岡ユタカらからなるバンド、人種熱を取り込むことによって、1981年に結成されたという。この年の元旦にザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」がリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高2位の大ヒットを記録していた。これを作詞・作曲していたのが近田春夫で、編曲はムーンライダーズの鈴木慶一であった。この日には、「ビートたけしのオールナイトニッポン」も放送が開始されている。この番組の中で、「恋のぼんちシート」はダーツ「ダディ・クール」のパクリではないかという疑惑が持ち上がるのだが、近田春夫はあっさりとこれを認めていた。1980年の初頭にブームになったものといえば、テクノポップと漫才だが、1980年には近田春夫のバック・バンド、BEEFから発展したジューシィ・フルーツが「ジェニーはご機嫌ななめ」をヒットさせていた。この次のシングル「なみだ涙のカフェテラス」と両A面扱いだったのが「恋はベンチシート」で、「恋のぼんちシート」のタイトルの元となっている。 1977年、小学生だった私はラジオの深夜放送を聴くようになるのだが、近田春夫のことは「オールナイトニッポン」の火曜2部のパーソナリティーとして、初めて知った。番組中、ほぼずっと歌謡曲のレコードをかけていて、それについて好き勝手なことを言っているという印象であった。当時、音楽評論家という職業の存在を認識はしていたと思うのだが、ジャズとかロックとかもっと通好みな音楽について論評しているという印象で、歌謡曲の評論というもの自体も近田春夫によって知ったような気がする。当時はニューミュージックの方が歌謡曲よりも質が高いものという認識がなんとなく共有されていたようなところがあるが、そんな中、近田春夫は郷ひろみなどを大絶賛していた。 まったくの余談だが、当時の「オールナイトニッポン」のパーソナリティーは、月曜の1部がくり万太郎、2部が糸居五郎、火曜の1部が所ジョージ、2部が近田春夫、水曜の1部がタモリ、2部が松山千春、木曜の1部が自切俳人、2部が尾崎亜美、土曜がつボイノリオで、日曜が笑福亭鶴光であった。くり万太郎はニッポン放送の局アナ、糸居五郎は伝説のディスク・ジョッキー、自切俳人は北山修の別名で、スティーヴンソンの小説「ジキル博士とハイド氏」が由来だと思われる。松山千春は北海道ではすでに人気者だったが、全国的にはブレイクする前で、2部のパーソナリティーからスタートしている。後にニューミュージック批判を繰り広げるタモリだが、この頃、1部と2部との交替時には松山千春と「ター様」「チー様」「ファイト!」などと、エールを送り合っていたような記憶がある。 近田春夫は1979年4月から「オールナイトニッポン」の金曜1部に昇格するのだが、タレントのコッペとのコンビでの担当となり、番組の構成がかなり変わってしまった。個人的には内容が薄くなったような印象があり、あまり聴かなくなってしまった。そして、半年後の改変の時期に終わった。その後に金曜1部を担当したのは、翌年に「順子」が大ヒットする長渕剛である。 近田春夫&ビブラトーンズの唯一のアルバム「ミッドナイト・ピアニスト」と、シングル「金曜日の天使」が同時発売されたのが1981年11月25日、当時、中学生で「オリコン・ウィークリー」を毎週読んで、情報収集をしていた私だが、これについてはまったく記憶がない。中島みゆき「悪女」、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」などが売れていた頃である。 それで、高校に入学してからたまたま観ていたテレビ番組でライヴ映像が流れていた「地球の片隅で(砂漠編)」で、初めて近田春夫&ビブラトーンズの音楽を聴いたのであった。近田春夫はキーボードを弾いていたと思うのだが、はじめはテクノポップのようでもあり、ややゆっくりな感じなのだが、途中からごく自然にリズムが明らかに変わり、近田春夫とは別のメンバーが歌う「少年少女 恋すれば 青春 一生懸命」というフレーズがとにかく耳に残った。これは買わなければいけないだろうと思っていたところ、「ミュージック・マガジン」におそらくこの曲が収録されているであろう4曲入り12インチEP「バイブラ・ロック」の広告だか記事だかが載っていた。これだ、と思って買いに行ったのだが、どこで買ったのかをよく覚えていない。おそらく旭川の平和通買物公園にあった、ミュージックショップ国原だったような気がする。「バイブラ・ロック」がリリースされたのは1982年11月21日で、中森明菜「セカンド・ラブ」、ヒロシ&キーボー「3年目の浮気」、渡辺徹「約束」などが売れていた頃である。 12インチ・シングルという概念が、当時、少なくとも日本の一般的な音楽ファンにはまだ浸透していなかったような気がする。7インチ・シングルには中央に穴があいて、プレーヤーにアダプター的なものを装着した上で載せなければいけなかった。真ん中に穴があいていることから、ドーナツ盤と呼ばれた。1970年代ぐらいまではアルバムのことを主にLPと呼んでいて、それが「Long Player」の略であることを当時はまだ知らないのだが、LPのことをアルバムと呼ぶのは、なんだか通っぽい感じがしたものである。1977年頃に広場のベンチに父のラジオを持って行って聴いていたところ、「エミ子の長いつきあい」というラジオ番組もやっていた歌手、中山恵美子のレコードのCMが流れてきた。その中でアルバムという言葉が使われていたのだが、当時、アルバムといえば写真を貼って保管するものという意味でしか知らなかったため、なにか写真集的なものを出すのかと勘違いしていたことがある。 シングルは45回転、LPは33回転である。これを当時は、小さいレコードが45回転で大きいレコードが33回転というように、なんとなく覚えていた。「バイブラ・ロック」はLPと同じサイズ、つまり12インチなのだが、45回転というのが当時はまだ新鮮であった。1曲目の「区役所」は、なぜこのタイトルなのだろうか。旭川に市役所はあるが、区役所は無い。それで、これだけでもなんだか都会の音楽を聴いているな、という気分になった。ロックでもダンス・ミュージックでもないのだが、どちらでもあるともいえそうな独特のノリがあり、これがとてもカッコいいと思えた。テクノポップ的なところもあるのだが、肉体性が明らかに強く、この辺りのバランスも絶妙に好きであった。「ミニスカートの脚に 絡みついてる視線 男同士の夢は 疲れ果てたままで」ではじまる歌詞には、大人びたマイルドな退廃を感じた。「クラクション 急ブレーキ 街角」のイメージがもたらすスピード感、「行き交う人々はお互い知らぬ者 昨日今日明日さえ 思い出すはずもない」のニヒリズムから、「子供の前では優しい父親 それとなくバスの列に割り込んだ」という皮肉、本音に対する建前としての「汗と涙とスポーツと サービスと笑顔」というフレーズなどもエッジが利いていると感じた。 2曲目に収録された「恋の晩だな」は、「恋のバンダナ」とのダブル・ミーニングだと思われる。1981年にマッチこと近藤真彦が大ヒットさせた「ギンギラギンにさりげなく」には、「赤い皮ジャン 引き寄せ 恋のバンダナ 渡すよ」という歌詞がある。そして、「恋の晩だな」には、「恋の晩だな 恋の晩だな マッチが歌うよ」という歌詞がある。「ギンギラギンにさりげなく」で、確かにマッチこと近藤真彦は「恋のバンダナ」と歌っていた。そして、「恋の晩だな」において、次に続く歌詞というのが、「バージンも 童貞も 捨てたいもんだ」である。 「大切なものは性生活です」「アレだけしか頭にないのね」、これこそがある意味において、青春の真実であろう。 マッチについて言及される前には、「僕たちだって モーテルで燃えたいもんだ」という歌詞がある。モーテルとは自動車を意味するモーターとホテルとが合わさったもので、駐車場が充実したホテルというようなのが元々の意味だったとは思うのだが、少なくとも「バイブラ・ロック」がリリースされた頃の旭川の高校生にとって、モーテルといえばラブホテルのようなものを意味して、神居町の台場というところにお城のかたちをしたものなど、いろいろあった。中学生の頃に校則により髪型が5分刈りだったにもかかわらず、片岡義男のアメリカをテーマにした文章などを好んで読んでいた私は日本でいうところのモーテルというのは、本来の意味とは違うというような面倒くさいことを言っていたが、1981年にリリースされた大滝詠一「A LONG VACATION」の「Velvet Motel」という収録曲のタイトルには大人っぽいイメージを感じていた。 そして、「アー アイヤイヤー」という雄たけびめいたコーラスも、青春のなんともいえぬ悶々とした気分をヴィヴィッドに表現しているように思える。 アナログ盤においてはB面の1曲目に収録されているのが、「地球の片隅で(砂漠編)」である。出だしはまるでテクノ・ポップのようである。ヴォーカルはおそらく福岡ユタカで、「散らかったベッドだけの 後ろ姿 悲し」というように、どこか寂しさを感じさせもする状況描写が続く。そして、ヴォーカルが近田春夫に替わり、「あー ブリキの太陽が あー 錆びてゆく夢さ」、リズムがごく自然にダンサブルになり、「少年少女 恋すれば 青春 一生懸命」、「目を閉じ 抱き合いながら 別の言葉」と、まるでよくあるラヴ・ソングのようなクライマックスを迎えるのかと思いきや、再びAメロに戻り、「薬指に光る悪い冗談の後 星めぐりなど 気にせずに眠っておくれ」などという、気障なフレーズもたまらない。やや現実感も感じられるかと思っていたところ、「借りたままのレコード もう遠い昔 地球の片隅で 過ぎ去りし砂漠の空」と、まったくよく分からない世界観へと突入する。そして、やはり「少年少女 恋すれば 青春 一生懸命」なのだが、その少し後に「母の心 誰が知るだろか」「父の涙 誰が拭くだろか」を「誰が知るだろか」と嘆いてもみる。なかなかとてつもないポップ・ソングである。 そして、「バイブラ・ロック」の最後に収録されているのが、「AOR大歓迎」である。AORやシティ・ポップが再評価される昨今、ひじょうに引きのあるタイトルである。しかし、この曲はけしてAORではない。流行りのディスコに顔パスで入れて、踊りが上手で、アイシャドーは「当然ブルー」で、サーフィンも大好きで、ハワイやグァムやサイパンにも行ったが、かったるいというようなそんな顔をした女の子に憧れているという内容で、それを象徴するワードとしてAORが用いられているような気がする。 1980年代の前半において、サーファーはコンサヴァティヴにおしゃれな最高の流行だったと思われる。当時、旭川で高校生だった私にはよく分からないのだが、サーファー・ディスコというものがあり、そこではディスコ・ソングやソウル・ミュージックに混じって、AORもかかっていたらしい。しかし、たとえばニュー・ウェイヴ的な立ち位置からすると、サーファーやAORというのはコンサヴァティヴにすぎる、しかし、憧れるというアンヴィヴァレンツもあったのだろうか。この辺り、1980年代後半のワンレン、ボディコンを着用したコンサヴァティヴな女性に対して、ニュー・ウェイヴな男性がいだいていた思いに通じるものがあるのかもしれない。 「AOR大歓迎」においても、「趣味は違うけど 話ぐらい 合わせ 合わせ」と、その切実な努力について告白されるが、この次の歌詞がもう本当に素晴らしい。 「相手にされそうもないと むしろ冷たい素振りで 不安の裏返しの クールな顔して言うのは簡単だね」 いや、まったくその通りである。旭川で高校生だった私は、近田春夫&ビブラトーンズの作品を東京の遊び人のことを歌った音楽だと思って聴いていて、たとえばサザンオールスターズやRCサクセションや佐野元春の楽曲とはまったく別の捉え方をしていた。しかし、このフレーズについては、それがたとえ業界人が出入りする港区の超おしゃれなディスコティークのことだったとしても、地方都市の自信がない男子高校生のハートにもストレートに突き刺さるものであった。 そして、「いい女ってなんで こっちに来ないの」である。 当初、「バイブラ・ロック」と「ミッドナイト・ピアニスト」のことをまとめて書こうかと思っていたのだが、「バイブラ・ロック」のことだけでかなり長くなってしまったので、「ミッドナイト・ピアニスト」については、またいつか改めて書いてみたいと思う。発売日順でいうと「ミッドナイト・ピアニスト」の方が先だが、私が初めに聴いたのは「バイブラ・ロック」なので、これで順当である。しかも、「ミッドナイト・ピアニスト」を聴いた時には近田春夫&ビブラトーンズはすでに解散していて、私はもう首都圏で一人暮らしをはじめていたというのは、ひじょうに大きい。

(^-^) ちいさな夢を 唇に この歌詞をアナタのブログやHPに表示する場合はこのURLをコピーしてください。4年前3ヶ月前7年前11ヶ月前11ヶ月前2週間前1ヶ月前2年前8年前4年前11ヶ月前6年前デイリー動画歌詞ランキング12345歌ネットのアクセス数を元に作成アーティスト別ランキング動画12345歌ネットのアクセス数を元に作成(C)2001 PAGE ONE All Rights Reserved. 「歌ネット」の姉妹サイトがオープン!大人向けの音楽情報サイト「MUSIC GUIDE」! 演歌、歌謡曲、フォーク、ニューミュージックなどは勿論、洋楽ポップスやロック、イージーリスニング、ジャズ、フュージョンまで、ジャンルを問わず、大人世代向けの音楽情報に特化! 注目歌手カタログには、比較が楽しい100人のインタビューも掲載!ココにしかない新情報も! 今スグ、チェック! 2009/6/25僕も「約束」渡辺徹だな。 IDでもっと便利に 2009/6/25ベタかもしれませんが、 約束 関連動画 SpotifyとかApple Musicを適当にいじっていたら、いつの間にか近田春夫&ビブラトーンズの「ミッドナイト・ピアニスト」「バイブラ・ロック」が追加さ… 2009/6/25「約束」渡辺徹。っていう大ヒット曲があります(笑) みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!Q&Aをキーワードで検索:

「約束」がテーマもしくは曲名の素敵な曲って何がありますか? ・約束/湘南乃風・Promise/Sonar Pocket・約束の日/童子-T feat.青山テルマ・約束/Kinki Kidsまだ挙がっていないオススメ曲です。 「ワンダー(wonder)」という言葉には「奇跡」という意味がある。輝き続ける1曲に巡り会えた鈴木トオルは幸福な音楽家だと思う。そして鈴木がさらに幸福なのは、その1曲が、3つもの奇跡によって出来ていたということだ。 2019.08.24 最近チェックした歌詞の履歴この歌詞をスマホで見る 渡辺徹の「約束」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)ちいさな夢を唇に歌って君は 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 2009/6/24 「約束」がテーマもしくは曲名の素敵な曲って何がありますか?

私が知っている中で一番ステキな渡辺さんです(今も好きですが) ... 50+ videos Play all Mix - 約束 渡辺徹 YouTube; 渡辺徹【約束】 - Duration: 3:58. ∟JASRAC許諾番号:9008249113Y38200Copyright (C) 2020 Yahoo Japan Corporation. 歌詞の無料検索表示!最新j-pop曲・tv主題歌・アニメ・演歌から自作投稿歌詞まで、約300,000曲以上の歌詞が検索表示できます!インディーズとアーティストクリップもあるヨ! 渡辺 徹(わたなべ とおる、1961年 5月12日 - ) は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者。 本名同じ。栃木県 小山市出身で、茨城県 古河市育ち。 劇団文学座所属。 妻は歌手、タレント、女優の榊原郁恵。 2男の父で、長男は俳優の渡辺裕太。 城西国際大学メディア学部特任教授。 渡辺徹の歌詞一覧リストページです。歌詞検索サービス歌ネットに登録されている「渡辺徹」の歌詞の曲目一覧を掲載しています。愛の中へ,青空よメモリー,AGAIN -アゲイン-,気になるあいつ,君に愛のすべてを,心に海を抱きしめて,コスモス246,Season 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 2009/6/26・約束/湘南乃風この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!閉じる1〜5件/6件中