回答者・鈴木憲史昨年(2013年)7月に右足股関節に激痛があり、多発性骨髄腫と診断されました。さらに今年3月には、歩行困難に陥り、放射線治療としかし、貧血と疲れがあり、8月に「もう打つ手がない。緩和ケアをする段階」と言われました。在宅か、施設かを家族で話し合って欲しいということです。ボルテゾミブ+レナリドミドをやってみたいのですが、効果はありますか?緩和ケアへの誘導は、医師個人の意見なのですか、病院の方針なのでしょうか。(82歳 女性 大分県)ボルテゾミブに抵抗性が出て、レナリドミドにも抵抗性が出ているようです。臓器障害の目安として “CRAB(クラブ)” という言葉が用いられます。Cはカルシウム値の上昇、Rは腎臓の障害、Aは貧血、Bは骨の病変を意味しています。その中の貧血が出たのですね。症状としては厳しいと思います。3次治療ということになりますが、さらにMPT療法というしかし、これらの治療を選んでも、これまでの治療歴を考えると、長い効果が望めるかということになると、難しいと思います。金銭的な負担も大きなものとなります。痛み止めをきちんと使って、残された時間を有意義に使うことも大切ではないかと思います。再発を対象にした治験に参加できればいいのですが、現在はあまり行われていません。また、治療方針の決定ですが、医師の意見や病院の方針とは違う次元で医療界のコンセンサスとして行われます。次に打つ手がないというよりも、緩和ケアをチーム医療として捉え、治療からそちらに移行していくということです。患者さんとしては見捨てられたというような気持ちを持ってしまうかもしれませんが、病気と付き合いながら残された日をよりよく暮らしていただこうということです。緩和ケアでは、緩和ケア病棟に入ることもあるし、在宅でもあり得ます。相談者は、進行が速いようです。そのままでも10年以上生存する人も2割ほどいる一方で、厳しい人もいます。私はMPT療法をお勧めしますが、痛み止めももらって残された時間を全うするという考えも受け入れる必要があると思います。
手厚い人員体制で医療との連携も万全。建物や設備もきれい。 ホーム(1) ・相談員は身体や生活の状況、経済的な面もふまえてアドバイスを行う。 相談事例を検索する
・母は多発性骨髄腫と起立性低血圧。ひどいめまいで立って歩けない! 私の母は多発性骨髄腫であり、2014年の春、余命1年もないと宣告された。2019年秋、再発。現在通院し点滴の抗がん剤を投与している。私は35歳未婚女子。母はなぜかしばしば病気になる。母が私くらいの年の頃、ヘルニアになり腰の手術を行っている。そして40代後半、変形性股関節症で人工股関節を入れる大きな手術を行った。そして還暦を迎えようとするころに多発性骨髄腫であることがわかり10カ月の入院生活をした。母は40代の頃から股関節の痛みであまり長距離を歩けなかったし、50代後半は原因不明の激痛で1日中寝ていることも多くなった。少し動くだけでも激痛で悶える。悶えればその動きで余計に苦しむ。近くの病院Rの整形外科に何度もかかったけれど、運動しなければ動けなくなる、動かないから痛いのだと誤った診断をされ強い副作用があり通常なら長期に飲ませてはいけない薬を数年にわたり飲まされてきた。母は弱いところは見せたがらないし、我慢をして言わない。何度も遠くの有名な病院に連れて行こうとしたが、「ちょっと待ってくれ」「大丈夫だ」「まだそんな痛みじゃない」などといって渋った。そうこうしているうちに母の肌は茶色くなり顔がこけ身体も2周りも3周りもそれ以上に小さくなった。体重も急激に減った。その頃になってようやく「肌がくろくなっているよね。」「これはなにかあるのではないか。」と癌ではないかと本人が疑うようになった。そうしてようやく房総にある有名な病院へ行くことになった。房総の病院Kでは整形外科にかかったが血液検査もしてくれた。後日改めて病院に行くことになったのだが、帰り道に携帯に電話がはいり「血液検査の結果に異常があるので再検査をしたい。」と言われた。帰り道で戻るわけにも行かないので、数日後に行く約束をした。その時に私たちは大きな病気なんだろうなと察し、入院セットを準備していくことにした。ビックリして声を失ったのは余命1年ないことではなく、入室してすぐに「このままだったら余命1年なかったですね。」といわれたこと。多発性骨髄腫という病気だと丁寧に説明してくれ、とても痛かったでしょう辛かったねと母に声をかけてくれたこと。ドラマのような準備する時間もなんにもなく、唐突に言われた余命宣告に母と私たち兄弟はポカンとしてしまった。歩くこともままならず、あんなに嫌がっていた車椅子に乗った母は「私は死にたくはない。やりたいことがある。なおしてもらえるのか。」ということを聞いていたと思う。私もどのような治療をするのか聞いた。私たちの質問に丁寧に答えてくれ、また多発性骨髄腫について何も知らない私たちにとても丁寧に分かりやすく教えてくださった。不思議なことにこの先生ならきっと病気を治してくれるって気持ちになった。何より、母の病気をみつけてくれたことが嬉しかった。どの医者も母の病気を見つけることができず、誤った診断をし、誤った薬を投与し危うく腎臓をダメにするところだった。そうしてようやく、私は目の前が滲んできた。死が目の前にあるという事実に心がざわついた。そのあとがとても可哀そうだった。母は詳しい検査をするため骨髄穿刺をされた。とても痛いのだ。そして取るのが難しいようだ。主治医の他に2人の担当医(研修医)がつき、骨髄穿刺は担当医が行う。その時はイケメン担当医が行ったのだが、検査をするという様子を見て(実際の現場はみていない)涙が出てきてしまった。人生の中でこんなに泣いたのは、母が死ぬかもしれないというギリギリの状況だったことを自覚したとき、そして父が亡くなったときだ。母の病気には気が付くポイントがいくつかあった。近くの病院Rで血液検査をしたときに血が止まらずにあふれてでていたことが2~3回あった。床に血だまりができるほどだったが、看護師も医師も見て見ぬふりをした。こんなに血が止まらないのはおかしいと医師にも看護師にも伝えたがとりあってくれなかった。そして別の病院でセカンドオピニオンをお願いしたいのでレントゲンデータなどが欲しいと伝えると、「それはもう二度とここにはかからないということですね。」と攻撃された。そんなことがあって母はトラウマになっていて、医師に対して"余計なこと"を言わなくなった。もしこの時、血液内科など別の科に回してもらっていたらここまでひどくなる前に気が付いたかもしれないのに。母の場合は、血液の中を癌細胞が回り足腰などに強くでた。骨がもろくなった。癌細胞が頭に回らなかったことは唯一幸いだったと思う。多発性骨髄腫は静かに少しずつ進行するので症状に気が付きにくいという。今回のように再発をすると、抗がん剤の種類を変えたりするのでしばらく入院して様子を確認することもあるし、大きな検査の場合は平日でなければできない。そうじゃなくても副作用があるし、1年ほど前、抗がん剤の副作用で白内障になり1泊2日で手術を行った。片目ずつなので2泊4日。通院も眼科は平日だけだし、血液腫瘍内科は土曜日に見てもらえる。再発してからは数カ月は毎週だったので送迎する方も辛い。抗がん剤が点滴タイプになったので、1回の投与で4~5時間かかる。その他にも錠剤の抗がん剤を併用して治療している。母の免疫力が低下しているので、ちょっとした病気でも命に係わるかもしれない。とても気を遣うし、足元もおぼつかないので、目を離せない。たった20mくらいの距離でも休憩しながらでないと歩けないし、500mlのペットボトルを持つことも長い時間は難しい。それでも母は絶対に車椅子には乗らない。母の意思は尊重したいから母に合わせる。自分の意思ではどうしようもないし、命に関わることなので休まざるを得ない。私の会社は気兼ねなく有給や介護休暇を使わせてもらえるのでそこは大変感謝している。そして弟2人いるので、なんとか融通つけつつ…。どうしようもないことなのだけど、病院が車で片道3時間かかるので通院で1日がかり。昨年の秋から1月ごろまで毎週通院だったので体力も限界を超えていた。まだまだ30代はひよっこだって笑われるけれど、やっぱり20代と30代で比べると体力は断然落ちている。眠くなってふらふらしてしまい、ひやっとしたこともあるし、途中でコンビニにより、15分くらい仮眠をとったこともある。本当なら家の近くの病院で見てもらえたらそれがいいけれど、多発性骨髄腫専門の先生がいないし、一度母が死にかけているので行きたくない。でも一番は、房総の病院の先生をとても信頼しているし、見てもらいたいから。変にあれこれされるより、スパンと病名と余命を宣告してくれた方が嬉しいし、「薬の種類は沢山あるし、新薬もたくさんあるので大丈夫ですよ。」「なおりますよ。」「人の寿命は誰にもわかりませんよ。」と包み隠さずハッキリ言ってくれるところがいい。私が40歳になっても50歳になっても母を病院に連れて行ってあげられるようにしたい。病気の話になると患者本人いフューチャーされることが多いが、それを見守る家族はどうされているのだろうか。私と同じような悩みを持っていたり、辛いなぁなんて思っていたりするのではないか。でも私には繋がりがない。一番大変だし辛いのは本人に違いないが、近くで見守る家族も少なからず大変だということを知ってもらいたい。大切な人が亡くなるかもしれないと思いながら見守るのって結構しんどいのですよ。最期までお読みいただきありがとうございました!いただいたサポートは取材活動に関わる費用に充てさせていただきます♪こんちゃの頭の中をまとめてみた、思考ログです。私って何だろう…ということを整理しています。 【本社・五反田相談室】Copyright ・母は多発性骨髄腫と起立性低血圧。ひどいめまいで立って歩けない! ・母は家の中を這って移動する状態なのに同居の息子は介護放棄! ・独居同然の母は老人ホームに入ることを決意。自分で探し始めた。 多発性骨髄腫IgaΚ型?なんで? 20~34才女性 2018年 1users 日記 薬剤 検査 リンク 多発性骨髄腫 | 移植 抗がん剤 入院記録 ★★★ 2020-03-12 17:10:45 42歳で多発性骨髄腫と診断されたママの日記 35~49才女性 2017年 1users 日記 薬剤 検査 リンク 多発性骨髄腫は初期の段階では症状がほとんど現れないことが多く、早期発見が難しい傾向があります。 多発性骨髄腫は骨髄の中にある形質細胞ががん化する病気で、正常な血液を作れなくなったり、骨の中に腫瘍を作ったりすることで、全身にさまざまな症状が現れます。 ご対象者様は60代の女性で息子様と同居。多発性骨髄腫と起立性低血圧でめまいがひどく、家の中を這って移動。しかし、息子様は介護放棄! 私の母は多発性骨髄腫であり、2014年の春、余命1年もないと宣告された。2019年秋、再発。現在通院し点滴の抗がん剤を投与している。私は35歳未婚女子。 母はなぜかしばしば病気になる。母が私くらいの年の頃、ヘルニアになり腰の手術を行っている。 多発性骨髄腫IgaΚ型?なんで? 20~34才女性 2018年 1users 日記 薬剤 検査 リンク 多発性骨髄腫 | 移植 抗がん剤 入院記録 ★★★ 2020-03-12 17:10:45 42歳で多発性骨髄腫と診断されたママの日記 35~49才女性 2017年 1users 日記 薬剤 検査 リンク ご対象者様は60代の女性。多発性骨髄腫から起立性低血圧を併発。起き上がるとめまいがひどく、家の中を這って歩くのがやっとで、要介護3の全介助。同居の息子様は日中仕事とはいえ、在宅時も介護放棄。この状態にお母様は耐え切れず、老人ホームに入ることを決意。地域包括支援センターのケアマネジャー様を通してご相談がありました。 多発性硬化症(ms)の症状についてご説明しています。msでは、視覚障害、感覚障害、運動障害、平衡障害、失調、ふるえ(振戦)、排尿障害、性機能障害、認識・感情の障害、疲労感などの症状がよくみられます。本サイトは、バイオジェン・ジャパン株式会社が運営しています。 !お母様は老人ホームへの入居を決意されました。 昨年(2013年)7月に右足股関節に激痛があり、多発性骨髄腫と診断されました。 *ボルテゾミブ、*デキサメタゾン、*ゾレドロン酸の治療を受けました。その後痛みは治まりましたが、10月に左腕を骨折し、ボルテゾミブ、*シクロホスファミド、デキサメタゾンの治療に変更されました。