今日は、どこかで書こうと思っていた受験のお話。改めまして、先日慶應SFCに合格しましたと、いうとよく『やっぱり!』みたいなお言葉をいただきます。素直に嬉しいです。同級生からも、『当たり前でしょ』みたいな反応をされます。『ひなこなら簡単でしょ』みたいに言われます。だけど、私の受験は楽して受かったわけじゃない。余裕で受かったわけでもない。AO入試ってそんな簡単じゃなかった。そんなことを伝えたいなって思ってnote書きます。まずはじめに、私が慶應に受かるって有難いことに、「簡単に受かった」と勘違いされることがほとんどですが、全くです。私が慶應SFCを目指そうと決めたのは、遡ること3年前。中学三年生の冬です。もともとSFCに憧れてこそいましたが、絶対無理と決めつけていました。だって、その頃の私には何もなかったから。ですが私は単純なので(笑)映画 ビリギャル をみて即感化され、今までとても恥ずかしくて言えなかったこと両親に伝え、という返答をもらったあの日から、私の第一志望は「慶應」となったわけです。きっとこの瞬間、まさか本当に、三年後慶應に受かるなんて私も、両親も思ってなかった。 両親はよく言います。『信じてたよ』って。いや、でも、やっぱ、信じてただけで、受かるとは思ってなかったでしょう(笑)その時の私は、そう、多分1%の可能性くらいだったと思います。決定的に無理なんじゃないかと思ったのは、ただ、恥ずかしいなあああ…って全力で思ってたけど『慶應行きたいです。』って伝えることはやめませんでした。実を言うと、もともとAO入試をしようとは考えていなくて一般受験しようと思っていて。だから団体の活動や部活に並行して毎日塾に10時半とか11時とかまで残って忙しいながらも勉強してました。そんな感じで日々すぎていって、でも学生団体総選挙で全国タイトルをいただいて、『AO入試って可能性もありえるんじゃないか!?』と思ったんですね。それからは、どっちの可能性も考えられるようにしようってしてました。で、とうとう三年生になって本格的に『受験生』となって。たくさんたくさん悩んだり、自分が分かんなくなったり、自信もぜんっぜん無くて、『もう諦めたい、やめたい』と毎日毎日思いながら。出願直前の大事な時期に風邪引いて、3週間引きずったり。笑出願締め切り12時間前にSFCのサーバーダウンして、出願できなくて、もう人生の終わりかのように思ったり。たくさん迷走したしトラブルとかもありながら、なーーーーんとか、出願を終えました。で、そんな感じでやっとでSFCに合格しました!!!と、言えたら最高に嬉しいわけですが、そんなんだったらnoteは書いてません。笑実は出願前にSFCの未来構想キャンプというプログラムに参加していまして。そのキャンプは30/230の確率でしか行けないものなんですが、そのキャンプに書類選考通ってたんですよ。で、それって結構AO入試に直結しているもので本当に、正直、なんだかんだで書類通るって思ってて。笑(今考えるとめちゃくちゃ甘い考えですが。)だから、その先って考えてるようで考えてなかったんですね。そこで、『指定校を取ろう。』ということになりました。指定校取れそうで、これなら確実だし、関関同立だったのでもう十分じゃないか。と。((その時点でAO入試に大分重きを置いていて、一般入試だったら関関同立も行けそうになかったので。))『慶應は諦める。』でも、そんな矢先に実は併願で出願していた、これまた関関同立の大学のAO入試一次選考合格の通知が届きました。そしてなんと、その日は指定校申請締め切りの1日前。何があるか分かんないからって、一応まだ申請出してなかったんです。その大学の学部は、一次選考通るとほとんど落ちないって感じで、『自分で合格を勝ち取る』ことができるんじゃないか?となりました。とはいっても私はもう『不合格』の通知を見るのが怖くて、慶應どころか『自分で合格を勝ち取る』ことすら諦めてました。それでも指定校とる!って思ってました。その時の私は、早く受験から逃げたかった。別にもともと行けるとか思ってなかったし。絶対無理だって。でも、たくさん両親と話して『諦めていいのか。そして無事、関西の大学に合格し、大学生になれることが決まりました。で、私の受験終わったと思ってたんですね。その関西の大学は本当に魅力的で、自分に合ってた。絶対ここ来たら楽しいって確信した。それに私、関西好きなんですよ〜。ご飯美味しいし、優しい人いっぱいだし。ここで満足でした。でも、神さまは、そう簡単に私を諦めさせてはくれませんでした。笑実は、SFCのAO入試は一年で二回チャンスがある(1期、2期とある)んです。私が落ちたのが一期で、もう一回出願のチャンスがあったんですね。その出願期間は関西の大学の一次合格して、二次試験へ行くまでの間でした。この時点で『関西の大学に行く!』って私は心に決めていて(いたはずで。笑)というのも、慶應のいろんなプログラムに参加したり、一回落ちてしまったりしてって思ってて、慶應なんてもう行かない!!受かっても行かないし、受験しない!って思ってたんですよ。って、たくさんたくさん諦めるいいわけがあったわけですが。んーーー。例えば、ずっっっと好きだった異性にやっと告白して振られたら、辛すぎてその人のこと考えたくないじゃないですか。笑笑そんな感じだったかも。笑落ちた時、私泣けなかったんですね。多分辛すぎて涙もでない、的な笑笑そんな感じで慶應を避けて避けて避けまくっていたんですが、でも、なぜか、『受かっても行かなくていいから。出願だけはしておこう』となり。二期も出願してたんですね。で、絶対無理と思って、また『不合格』の文字を見るのかあ、、、。ってボタンクリックしたら、『ビックリマークは余裕で100個くらいはついた笑え!受かっちゃったやん!!!!え!!!!!って、まあ、そんな感じで。笑 そんな驚きを隠せないまま面接試験の日になり、面接はいつも通りマイワールド全開で突破し。笑正直、それでもどちらの大学へ行くか迷いました。合う合わないでいったら絶対関西の方だし、そっちの方が楽しいし、都会だし、自分らしくいられて、自分が優位に立てる。でも、大学は何のために行くのか。学ぶため。成長するため。そう考えた時、答えは『慶應へ進学する』でした。それに、仲良しの友達が言ってくれたんです。ということで、10月で終わる予定だった私の受験は12月まで伸びはしましたが、無事終わりました。ここで学んだことはふたつ。ほんっっとに多くの人が支えてくれて、私の無謀な夢を信じて応援してくれて、たくさん頑張る勇気をいただきました。だからこそ最後までやりきれて、やりきった先には想像もしてなかった世界がありました。今回このnoteを書いたのは、それと、いつかこの受験体験をもっと綺麗に上手に語れるようになって、いろんな人に可能性を届けたいって思ってるから。そう思います。また、AO入試で感じたこととかnote書ければなって考えてます!長々と語ってしまいましたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー追記想像以上に色々な方にこのnoteを読んでいただけているみたいで、最近AO入試についての質問を多く受けるようになってきました。●その中でわたしがよく答えるAOで気をつけるといいことを簡単にまとめたnoteも書いたので是非ご覧ください。●株式会社Edo様に声をかけていただいて『ひだびとオンライン』にてAO入試についてお話しさせていただきました。その際のYouTubeが上がっていたのでそちらも是非ご覧ください!※一つ目・二つ目、それぞれ前半のプレゼンの部分の内容は同様ですが、後半の質疑応答の部分の内容が異なっています!!少し長いですがお時間ある際に是非。それではAO入試を受験する皆さん。最後まで諦めずに頑張ってください!応援しています。本を買ったり、いろいろなイベントに参加してみたり、いろいろな場所に行って経験を積むことができます。協力してくださると泣いて喜びます。私は慶應義塾大学総合政策学部にAO入試で合格しました。受験についての記事時々更新していきます

 AO入試の志望理由書をうんと難しく表現することで、一次審査を通過した人は、(難しい雰囲気を醸し出す文章にすることによって、審査を通過したに違いない)と勘違いをしていることが少なくありません。

AO入試で不合格だった場合、その落ちた理由はどのようなものがあげられるのでしょうか?定員より少ない人数の人が合格してる事があるそうなのですが・・・面接・書類・小論文でのAO入試の場合でお願いします。

慶應義塾大学全学部のao入試についてまとめました。募集人数、倍率比較、慶應義塾大学合格のための入試方式活用ポイントなど、分かりやすく解説します。ao入試を日本で初めて実施した慶應義塾大学は、小論文を取り入れた一般入試とao入試の併願がしやすく非常におすすめです。

AO入試の結果はどうでしたか?受かった人はおめでとうございます。すごいですね。来年から一緒に頑張りましょう。まず、僕のAO受験歴を教えましょう。僕はAO入試と3回戦いました。現役生ならばAO入試は4月入学の1期と2期しか受けれません。しかし、僕がSFCを目指していたときは、浪人生のとき。9月入学のAO入試も受けることができました。僕は迷わずに9月入学を受けました。帰国生ではないのにです。結果、1次面接すら通らず。AO入試担当の先生に「あれは、帰国生とかの試験だから、しょうがない。次の面接なら大丈夫」と励まされました。僕は思いました、「次は絶対に受かってやる」と。2度あることは3度あります。最後のAO入試。自信は前回以上にありましたが、落ちました。今までと同様に、書類で落とされました。僕は落ち込みました。それと同時に、怒り(合格できない八つ当たり)が芽生えました。どうして、ダメだったのか理由が書いてないんです。僕は、自分が落ちた理由がわからず、國領二郎総合政策学部長にTwitterを飛ばしました。「どうして自分が落ちたのか理由が知りたい」というものです。國領先生は直接リプライはくれませんでしたが、「みんなの志望理由書はちゃんと宝物のように見ている」とつぶやいていました。僕のつぶやきを見てつぶやいたのかはわかりません。僕はこれを僕へのメッセージとして受け取りました。ちゃんと見てくれているのか、と喜びました。最後にAO入試担当の先生が「AO入試は違う試験だから、しょうがない。次の入試は大丈夫」という励ましをくれました。僕は思いました、「もう一般試験しかないじゃん…」と。これで、AO入試の話は全て終わりですが、この後の受験のことを少しだけ。僕はAO入試を全て総合政策で受けました。一般も総合政策しか受けないつもりでした。しかし、カリキュラムはほとんど同じなため環境情報も受けることにしました。総合政策の問題は小論文などを10年分ひたすら解きました。環境情報の方は、数年分解いただけで終わりました。そんなこんなで来た本番の一般入試。結果、総合政策は落ちて最後の環境情報学部の試験で合格しました。AO入試を3回落ちて、総合政策の試験にも落ちて、環境情報の試験でやっとSFCに受かり、現在いま僕はこの文章書いています。僕はAO入試を3回落ちましたけど、SFCにいます。今思っていることは、あきらめないでよかったということです。いま、僕はAO入試の志望理由で書いた内容を大学で行っています。しかし、全ての人がそうだとは限りません。自分のやりたいことが見つからない人もいます。