映画「ここは退屈迎えに来て」あらすじネタバレ?若者たちの三角関係?まさか泥沼? 原作小説「ここは退屈迎えに来て」は2012年幻冬舎社から出版された、山内マリコさんの単行本デビュー作です。 映画化された本作。作者の作品を読むのは初めて。 そばにいても離れていても、私の心はいつも君を呼んでいる--。都会からUターンした30歳、結婚相談所に駆け込む親友同士、売れ残りの男子としぶしぶ寝る23歳、処女喪失に奔走する女子高生……ありふれた地方都市で、どこまでも続く日常を生きる8人の女の子。居場所を求める繊細な心模様を、クールな筆致で鮮やかに描いた心潤う連作小説。「ここは退屈迎えに来て」2018年10月19日公開 なんか映画観たい…→これタイトル惹かれるけど評価そこまででもないな…お、小説あるやん、で出会った一冊。結果、その巡り会いに感謝したくなるほど自分好みの作品だった。 「ここは退屈迎えに来て」 ... 地方の独身女性を描いた短編小説。タイトル ここは退屈迎えにきて は彼女たちの心の叫びだろう。地方あるある満載で、 うわー そうそう! と地方在住者として共感しまくり、夢中で一気に読めました。 Copyright © 2020 Cinemarche 映画「ここは退屈迎えに来て」 60点。 テーマは何だろう。 もう戻らない青春?とか、そんな感じなのかな。 全然刺さらないけど、全編見終えることができた。 BookLive!(ブックライブ)は、 圧倒的共感を呼んだ山内マリコの傑作小説が、名監督&新世代豪華キャストにより待望の映画化!夢とあこがれの青春時代とその後も続く人生を描いた『ここは退屈迎えてに来て』をご紹介します。スポンサーリンクCONTENTS地方都市に住む20代の女性たちの姿を「椎名君」という一人の男性を軸に交差させて描いた痛くて切ない群像劇。主題歌とサウンドトラックは登場人物世代を代表するバンド、フジファブリックが描き下ろした。2013年フリーライターとしてタウン誌にグルメ記事などを書いている「私」は、カメラマンの須賀と組んだラーメン店での取材を終え、須賀の運転する車の中で、とりとめもない話をしていました。須賀もかつてはカメラマンを目指し東京に出たことがあるのですが、今は故郷に戻り、フリーのカメラマンをしています。彼は東京に未練たらたらの様子です。「私」が、高校時代に仲が良かったサツキと偶然出逢い高校時代にみんなの憧れの的だった椎名君に会いに行こうと盛り上がって、今から行くのだと言うと、須賀は自分も行くと言い出しました。商店街の角でサツキを拾い、須賀の運転する車で、椎名君が今勤めている自動車教習所に向かいます。道中、懐かしいゲームセンターを見つけたので立ち寄ってみると、高校時代の同級生の新保が一人、ゲームをしていました。こっちにずっといるの?と問われた新保は「たまたま帰省中」だと応えます。今から椎名君に会いに行くのだと話すと、昔、椎名はここの店長やっていたんだと新保は言うのでした。今の仕事も新保が紹介したのだということが発覚します。たまたま二人とも気持ちがすさんでいた時に偶然出会って少しだけつるんでいたときがあったんだ、と語る新保。「そうか、まだ仕事続いているんだ」と彼はぼそっと呟きました。一緒に行く?と誘いましたが、新保は断りました。立ち去ろうとする彼に「YUKO」って誰?とサツキが声をかけました。YUKOという名前でゲームをしているのを彼女はめざとくみつけていたのです。新保は一瞬戸惑いましたが、すぐに笑顔になって言いました。「俺がYUKOだから」2004年うちの家はとっても勉強できるような場所じゃない、まなみ先生の家に行くたび、ここだな、私を高めてくれるのはここだなと思うと朝子は言うのでした。2008年「あたし」は高校時代に椎名と付き合っていましたが、卒業後、椎名は大阪に行ってしまい、それからは音信不通の状態が続いていました。「あたし」は未だに椎名を忘れられずにいましたが、自分に好意を寄せる遠藤とラブホテルに入っていきました。2010年2004年新保はおとなしい雰囲気の同級生たちと毎日つるんでいましたが、椎名からは名前のことで時々からかわれていました。ある日の放課後、椎名を真似てサッカー部員が新保をからかっていると、椎名が駆け寄って彼にハンバーガー食べにいこうぜ、と声をかけてきました。こんなこと初めてだったので、ドギマギする新保でしたが、やがて普通に彼らは話し始めました。「高校を出たらどうするの?」と椎名に訪ねますが、彼は特に何も考えていないようでした。「お前は?」と聞かれ、「とりあえず大学に行く」と応えると「お前頭いいもんな」と椎名は言うのでした。同級生のなっちゃんは禿げ上がった中年男、皆川と(援助)交際中です。運転する皆川をなっちゃんはさんざん挑発し、車はラブホテルに入っていきました。ラブホテルの近くのマンションのまなみ先生の部屋で朝子は勉強を教えてもらっていました。休憩時間に先生の蔵書の写真集を開いて、「こんな写真集地元では手にはいらないよ」と言うと、先生は「そういうのが好きだったら東京の大学に行けば?」と言います。でも両親にこないだそのことを話したら反対されたと肩を落とす朝子に先生は「私も親に大反対されて行けなかったの。でも、本当に行きたかったら誰が反対しようと行っていたと思う。本気がたりなかったのね、きっと」と言うのでした。「後悔してる?」と問う朝子に「すごいしてるよ」と応える先生。朝子は「絶対東京の大学に行く」と先生に向かって言うのでした。そんな朝子を校舎の前で待ち伏せている同級生がいました。椎名君にラブレターを渡して欲しいと彼女は言います。自分で渡せばいいじゃんと言うと、そんなことすればすぐに上級生に呼び出しをくらうと彼女は応えるのでした。朝子は椎名の妹でした。渡り廊下で“あたし”といる兄に「兄さんってガールフレンドいなかったよね」と言って朝子は手紙を渡しました。ある日の放課後、「私」とサツキは椎名君から「ゲーセンに行かない?」と誘われ有頂天になります。ビリヤードを教えてもらい、夢のような楽しい時間を過ごしました。いつの間にか椎名君と二人きりになっていた「私」は「高校を出たらどうするの?」と尋ねました。「何かやりたいことあるの」と椎名君は逆に質問してきました。「何者かになるのが私の夢」と応えると、「俺はずっと高校生のままがいいな」と椎名君は応えるのでした。2013年「私」たちが通った高校が見えてきました。「私」とサツキは校庭から校舎を眺め、写真を撮る須賀にポーズをとってみせました。「みんな元気~~?」「私」とサツキは顔も知らぬ校舎の中にいるだろう後輩たちに向かって楽しそうに手を振りました。2004年新保は「私」に椎名君と付き合っているのか?尋ねてきました。「付き合ってないよ。なんで?」と応えると、「あいつ目立つから知らないうちに目で追いかけるってことあるじゃない。それで二人が目にはいって付き合っているのかなって」と新保は応えました。「そうみえたなら良かった」と「私」は思わず口にしていました。「そう見えただけなんだもん」という新保に「そう見てて」と「私」は言うのでした。ホテルのルームサービスが持ってきたピザと飲み物を皆川はこそこそと受け取り、「来たよ」とベッドで寝そべっているなっちゃんに声をかけました。万札を差し出す彼にいらないと応える彼女でしたが、帰りの車中、「次はいつ?」と尋ねると、皆川は「今日が最後かもしれない」と言い出しました。親からお見合いを薦められていると彼は言うのです。もう47才だからな、という彼に「47才だったんだ」となっちゃんは笑いました。でもなっちゃんを車からおろして「じゃぁ」とだけ言って去っていった皆川に対して「じゃあじゃねーし。じゃぁってなんだよ」となっちゃんは憤ります。南とあかねはいつものようにファミレスでダベっていました。あかねは個人営業の不動産屋の男と付き合い始めたようでした。南があかねに雑誌を見せようとすると、電話がかかってきました。あかねのアイフォンの画面には交際相手の「皆川」の顔が表示されていました。2008年「あんた彼氏じゃないからね」と遠藤に冷たい言葉を浴びせる「あたし」。2005年、椎名君と付き合っていた頃のことが思い出されました。どこまでも椎名君を追っていくと言う彼女に、じゃぁ余計、車がいるじゃんと指摘する椎名君。「あたし」は車の免許を持っていません。夜更けに目が覚めて、隣で寝ていた遠藤の鼻提灯をみてしまった「あたし」は「ムリムリムリ」と叫ぶと、あわてて服を身に着けてホテルを飛びだしました。「誰かーーー!」と叫ぶ「あたし」。彼女が歩いていると、前から洗濯機を押してやってきたロシア人が「車ない、歩く、なぜ?」と絡んできました。「なぜ車ない。この時間ここ歩くおかしい」と言うロシア人。困っているとやっとロシア人は離れてくれました。「あたし」はその時「はっ!」としました。椎名にとっての「あたし」って「あたし」にとっての「遠藤」じゃないよね。「あたし」はフジファブリックの「茜色の夕日」を口ずさみ始めました。するといつの間にか、遠藤が車に乗ってすぐ後ろにきていました。「乗れよ」という彼に向かって「あたし」は叫びました。「遠藤! お金頂戴! 車の免許取る!」スポンサーリンク「私はいつもあかねを応援しているから」という南に、あかねは感謝し、「そういう南は彼氏とうまくいってるの?教習所の先生だったけ」と尋ねました。南は結婚指輪を見せました。「ちょっと、なんで黙ってるのよ!」と言うあかねに南は微笑んで言うのでした。「椎名南になりました」。「どんな人なの?」とあかねに問われ南は「つまらない男よ」と応えるのでした。須賀に「東京には椎名みたいなのはいなかったの?」と問われた「私」は「いなかった」と応えました。「この橋を渡ったら教習所だ」と須賀が言いました。「高校生のままだよね?」だれにも聞こえないよう、そっと「私」は呟きました。2004年「好きな人の中に存在し続けたいかな」と彼は応え、「なれないものになりたくなるんだよ」とはにかみました。その時、後ろから椎名君が二人にしのびよって、二人をプールに落としました。それを発端にその場にいた生徒たちは次々、プールに落とされ、中には自分から飛び込むものもいて、あっという間にみんなはずぶぬれになり、水を掛け合ってはしゃぐのでした。2013年近況を語り終えたころ、椎名が仕事に呼ばれて立ち上がりました。こちらを見て彼が言った言葉は思いがけない言葉でした。「すげーいいにくかったけど、ど忘れしちゃって・・・。名前なんだっけ?」絶句する「私」。その頃、新保は「茜色の夕日」を歌いながら自転車を漕いでいました。歌っているうちに涙が出てきて、歌声は大きくなっていきました。サツキは一人で座りながら「茜色の夕日」を口ずさみ、帰りの車の中で、「私」も「茜色の夕日」を歌っていました。“映画『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーは、”と「私」は考えを巡らせていました。“何より大事なのは人生を楽しむこと、幸せを感じること、それだけです”と言っていた。それはなんとなく判る気がする・・・。その頃、東京では。椎名君の妹の朝子が、マンションの屋上に上がっていました。スカイツリーがそびえる東京の風景をみつめながら朝子は呟きました。「超楽しい」