正式に発表はされていないようですが、実は『青空』は当初違う歌詞だったという話があります。どれを選んでもそれは個性であって、その選択によって人の本質は決まらないんだよってことだと思います。サビ後半の『運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか』からの一文は、まさに自由になりたい少年のあこがれを象徴していると思います。【可愛い画像まとめ】ミカサアッカーマンは死んだのか?リヴァイとの関係は兄弟?今は高校に行くのが普通だ!みたいに言われていますが、別にいかないというのもひとつの選択肢であるということです。それに続く『できれば僕の憂鬱を 撃ち倒してくれればよかったのに』という一説は、青春時代の思い悩んでいる晴れない気持ちを歌っていると思います。目の前にフルーツが置かれて、『バナナを選ぶか?リンゴを選ぶか?』を決めるのと同じように、『高校に行くか?いかないのか?』というのも自由だろって感じです。単純に『メクラ』という言葉が差別的表現なので書き替えられたという説が強いですが、真相はわかりません。歌詞の意味について考えてみましたが、結論を言ってしまえば『歌詞の受け取り方は人それぞれ』です。歌詞が違うのは赤字の部分だけですが、これが『こんなはずじゃなかっただろ?歴史が僕を問い詰める』に変更された理由には諸説あります。二日酔いで吐き気が止まらない!即効で効く治し方と薬や食べ物・飲み物紹介!ブルーハーツの曲はCMやドラマなどで多く使われているので、有名な曲が多いですが、そのなかでも『青空』は名曲中の名曲ですよね。人種差別を撤廃して、人類みな平等にという願いが込められているという感じですね。また、抽象的だからこそ多くの人の心に響くというのもありますよね。体内年齢を若くする方法!理想は実年齢より上?下?それとも同じ?その手を見せてみろというのは、別に手の中に何かを隠しているわけではなく、『手の内を明かす』という言葉があるように、『真実を見せてみろよ』という感じの意味だと思います。ただ、個人的には『個性を尊重したい』という意味だと思っています。ということで、青空の歌詞と真剣に向き合って、歌詞の意味を考えてみました。意味的には『天国=自由・極楽の象徴』ということで、『自由を手に入れるために姑息な手段をつかうなんてマジか?』みたいな意味だと解釈しています。『生まれたところや皮膚や目の色』というのは、すべて生まれながらにして備わっている要素ですよね。聞いた人それぞれの心の状態や人生経験などによって、受け取り方が変わってきます。視点的には自分自身がテレビの前に座っていて、テレビ越しにインディアンを打倒した騎兵隊を見ているという感じです。サビの『生まれたところや皮膚や目の色で 一体この僕の何がわかるというのだろう』という部分は、ストレートに解釈したら差別に対する言葉に見えますね。『神様にワイロを贈り 天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?』いわゆるその時代を風刺したプロテストソングの一種という解釈です。中学生や高校生のティーン時代には、誰でも(特に男性は)なんか晴れない気持ちというのを体験したことがあると思います。食事制限しないで筋トレだけで理想の体型は作れる?体脂肪率を確実に落とすためにたまに『マーシーの気持ちを全然わかっていない』とか、『歌詞の真意がわかっていない』という人がいますが、それはおかしいわけです。なんのために学校に行ってるんだろう?なんで勉強してるんだろう?本当の友情って何?本当の恋愛って何?ココイチに辛さレベル25があった! ?ルーのみ(ルーだけ)の持ち帰りは可能?ブラウン管はもちろんブラウン管テレビのことで、その向こう側にカッコつけた騎兵隊がいるという場面です。でも、この歌詞を聞くと、より青春時代のあこがれなどを強く歌っている歌に聞こえますね。そして、その風景をテレビ越しに見ている自分という描き方をすることで、自分のいる世界とは別の遠い世界の話のような印象を与えます。人それぞれいろいろだと思いますが、こういう入り混じった憂鬱を打倒してくれればよかったのにという感じでしょうか。なぜかというと、キング牧師の黒人解放運動のさなか、バス不乗運動が行われたという歴史があるからです。特にブルーハーツの曲(マーシーが書く曲)というのは抽象的な歌詞のものが多いです。それに続く『誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ 隠しているその手を見せてみろよ』と合わせて考えてみると、政治家や汚い大人たちというものを揶揄している感じに受け取れますね。この要素だけで人は判断できない。つまり、人それぞれ違う個性を持っているということです。抽象的なので、サラッと聞いただけではあまり意味がよく分からないところもありますが、よくよく考えてみるとかなり深い歌詞になっている。伝えたい方向性はあったとしても、それぞれの受け取り方にゆだねるという歌を作詞家は目指していると思います。サビの部分の『運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか』というのは、『差別をやめろ』という意味であるという解釈をしている人もいました。 「騎兵隊がインディアンを倒すテレビ映像」を見ていた光景がすぐに想像できますが、テレビを見ている描写を「ブラウン管の向こう側」と表わすセンスがまず尋常ではありません。 その後のインディアンのくだり、というか歌全体を通してアメリカの歴史、とくに黒人奴隷の歴史が密接に関係していると感じます。 ご存知の通りアメリカはヨーロッパ人の入植により切り開かれた過去がありますが、その際にインディアンの大量虐殺が行われました。 歌詞が描いてるのはまさにこうした光景ですし、インデ…

伝説のロックバンド『ザ・ブルーハーツ』。 好きな人も多いんじゃないでしょうか? 私も年代は違いますが、ブルーハーツのファンのひとりです。 ブルーハーツの曲はcmやドラマなどで多く使われているので、有名な曲が多いですが、そのなかでも『青空』は名曲中の名曲ですよね。 ザ・ハイロウズの「青春」歌詞ページです。作詞:真島昌利,作曲:真島昌利。(歌いだし)冬におぼえた歌を忘れた 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 ところで、みなさんはこの曲の歌詞の意味について、今まで深く考えたことはありますでしょうか?しかしこれだけではバスから馬車へのごじつけ感がありますので補足を。僕も深く意味を追求したことは無かったのですが、ここ数か月、黒人奴隷の歴史について映画や書籍で学んでいたら、自分なりに意味が見えて来たような気がしました。やや話がそれたものの、歌詞の根幹に黒人差別というものがあると考えると、このようにバスという言葉を使う必然性はありますし、何よりバスの方が理解しやすいという面もありますよね。聴いた人が各々感じる事や思い描く光景がきっとあるでしょうから、ヒロトの言葉の繰り返しになりますが、受け取る人が自由に考え楽しめれば、それでいいんじゃないかと思いますね。「神へお金を献上することが善行であり、それが幸福へと繋がる」という考え方に基づくものだという考えなのでしょう。こちらの場合の「天国へのパスポート」の解釈が難しいところですが、どんな宗派であれ、お金以外にも食べ物などの献上物はあると思うところ。歌詞で言っているのが黒人に関してであったにせよ、「特定の物事でその人を判断できやしない」というメッセージ性は不変であると感じます。1989年に発表されてから数多くのミュージシャンにカバーされ、後世に歌い継がれていくことは間違いありません。ここで出てくる神様は色々な解釈ができますが、2つの考え方で掘り下げていきましょう。途方もない苦しい日々に「こんなはずじゃなかった」と思うのは当然であり、自分の現状を作りだした暗い『歴史』があるのは先まで書いてきたとおり。「騎兵隊がインディアンを倒すテレビ映像」を見ていた光景がすぐに想像できますが、テレビを見ている描写を「ブラウン管の向こう側」と表わすセンスがまず尋常ではありません。これだけ多く使われるのはやはりマーシーの中に明確なブルースの意味合いがあるからと感じるところで、ゆえにここでの憂鬱も、単なる意味での憂鬱ではないと推測するワケです。それを踏まえた上で、『決して屈してならない』という反骨精神を持っての「見せてみろよ」という反旗を翻すような言葉なのかなと思っています。そんな論拠の無いことを常識として白人は振りかざしていたわけで、恐怖で抑圧し、家畜同然の扱いを強いていたのです。そう考えると歌詞全体を見ても、『最も悲痛な心の底からの願い』がこの部分であると感じるところであり、サビになっているのも非常に納得のいくところ。Googleで検索するとすぐ出てくるので、併せて見ながら読み進めてもらえるといいかなと。バスにせよ、馬車にせよ、移動手段であることには変わりなく、先まで述べて来たように黒人奴隷の日常は本当に酷い有様で、当然、「どこでもいいから、ここでは無いどこかに行きたい」という思いは当然抱いていたはずです。青空の光景は、哀愁に満ちた、悲しみを匂わせるものだと僕は思います。この部分が一番抽象的な箇所のように思えますが、個人的には明確な光景が浮かびます。そのため『ブルース=憂鬱を吐き出すもの』として、辛い心情自体を、ブルースという言葉で語るブルースマンも多いです。「いくら神頼みをしても辛い現状は変わらないだろ?」という意味合いの歌詞だと考えると、こちらの意味合いでも大きな違和感はありません。そこで感じるのは心地よさよりも、自分の辛い日常と綺麗な空を対比することで、より世界を残酷に感じてくるんじゃないかなと。黒人差別を題材にした映画を見ると決まって登場するのが、黒人を苦しませて喜ぶ白人という光景。軽くブルースの歴史に触れると、ブルースは黒人奴隷の歴史が産み出した音楽であり、一日中労働に明け暮れ、辛い心情を吐露する手段として音楽を用い、日々の心境などを歌っていました。脱走した黒人を鞭打ち・吊すなど、同じ人間とは思えない所業が横行していました。こちらは時代が進み、1950年代の公民権運動のきっかけとなった事件で、「白人優先席に座っていた黒人女性ローザ・パークスが、白人に席を譲らなかった故に逮捕された」といった内容。その後のインディアンのくだり、というか歌全体を通してアメリカの歴史、とくに黒人奴隷の歴史が密接に関係していると感じます。その歴史により自分は際限の無い苦しみに苛まれ、絶望に暮れる日々を送る、そんなことを『歴史が僕を問い詰める』という言葉で表しているんじゃないかなと。歌詞が描いてるのはまさにこうした光景ですし、インディアンを題材とした映画も数多くありますので、映像を見ていた光景が、マーシーの実体験と考えても不思議ではありません。ここで憂鬱という単語が登場しますが、実はブルースという言葉は、ほぼ憂鬱と同義として用いられます。この記事がきっかけで黒人奴隷の歴史や、ブルースに興味を持った方がいれば、おすすめ映画をまとめた記事がありますので、ぜひ参考にしてみてください。辛いことをたくさん見て・体験して色々と考えながら目に入ってくる青空はいったいどんな風に見えるでしょう?いつの時代でも人を見下すことで自分の重要性を誇示する人間はおり、現代においても学歴・職業・容姿その他様々な尺度で人に優劣を付けるのはよく見受けられること。もちろん自分の解釈が絶対に正しいと言うつもりはないですし、捉え方は人それぞれだと思います。ということで、あくまで受け取った一人の解釈として、『黒人奴隷の歴史』と絡めながら青空の意味を紐解いていきたいと思います。そう考えると歌詞で言うところの「神様にワイロ」は献金などの献上行為であり、「天国へのパスポート」は望んでいる願いや幸福、と結びつけても特に違和感はありません。現代からすれば考えられませんが、当時は人種差別が根強く残り、このような区分けをされるのが一般的でした。本来ならば先に青空の歌詞を全文載せたいところですが、著作権の問題があり載せられません。黒人の人たちは元々アフリカで自由に暮らしていたのに、それを奪われ見知らぬ土地に連れて来られ、子孫たちに至ってはアフリカの土地を踏むこともありません。そして最終的に『青い空の真下で』と歌われるワケですが、ここでいう青空は希望に満ち溢れたものではないと感じます。黒人奴隷の悲痛な過去と、果てしなく辛い日常を考えれば、この言葉の持つ重みは計り知れません。アフリカではイスラム教が多数派であったため、黒人たちは無理やりキリスト教に改宗させられていました。人気海外ドラマ『ルーツ』では連れ去られた主人公がアメリカに来てからも、自国の神を信じ続ける姿が描かれており、実際にもそういった人は多かったのでしょう。とくに白人農場主と黒人奴隷という関係性となると、書くに堪えない悲痛な物事ばかり。これを踏まえた上で、青空の歌詞の上での憂鬱に話を戻すと、個人的には文面通りの意味での「憂鬱」という言葉でありつつも、ブルースの意味を捉えた上で使われているんじゃないかなと思うわけです。黒人差別とバスと聞くと真っ先に浮かんで来るのが、ローザ・パークスの『モンゴメリー・バス・ボイコット事件』。ご存知の通りアメリカはヨーロッパ人の入植により切り開かれた過去がありますが、その際にインディアンの大量虐殺が行われました。黒人奴隷は主に綿花の収穫などの農作業に従事させられていましたが、強い日差しが降り注ぐ中、一日中刈り取らなければいけないのです。ブルーハーツを代表する名曲であり、詩人マーシーの天才ぶりを世に知らしめた作品である『青空』。よってここで言うところの「誠実さのかけらもなく笑っている」のは劣悪な白人であり、「隠しているその手」は痛めつけるための武器を持った手や、その狂気性自体を指しているのではないかと。この考えに至るまでに20本近くの黒人奴隷やブルースを扱った映画や、いくつかの書籍を読んだりしたので、論拠が希薄なものには多分なってないのかなと。いずれにせよ、「本気なのか?」という一節で終わることからも、そのような行為に対して疑問を呈してるのは分かりますね。黒人奴隷はアフリカから拉致され、売られてアメリカに連れられてきた経緯があります。歌詞中では『バス』が登場しますが、黒人奴隷産業が隆盛を誇っていた時代、まだ自動車は発達しておらず、移動手段といえば専ら馬車でした。そもそも奴隷はお金を持てる身分では無かったため、時代性を考えても黒人が神へ何かを献上していた事実はなかったかもしれませんが、いずれにしても「望んでいるだけでは何も変わらない」というメッセージが伝わってくる内容と感じます。しかし、冒頭にも書いたようにあくまで僕の一意見にすぎず、絶対的なものだとは全く思っていません。宗教批判をする気は毛頭ないことを前置きとし、得てして宗教団体には献金システムが存在します。読者の人に分かりやすく例えるならば、「今日からブルーハーツは一切聴くな」と強制されるようなものです。© 2020 スズキサトシの音楽遊歩道 All rights reserved.しかし、いわゆる普通の明るい精神状態であればそんなことは思わないでしょうし、よほど精神的に疲弊した状態であることが想像できる一節だなと。衝撃的な光景を見て、「その銃で自分の憂鬱を消して欲しい」と思う心境を描いているのは明白。