「何をすれば救われるのか。何を信じれば救われるのか」という質問は、よく聞かれるものです。聖書にも似たような質問が、クリスチャンではない人々によってされています。(使徒行伝2・37, 16・30)。どのように神に答えたら神の救いをいただけるのでしょうか。 Please select the Tab Content in the Widget Settings. 東京キリストの教会的救いの条件の検証の前に聖書的に人はどのようにして救われるのかエペソ1:13「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の一番はっきりとまとめて書いてあるのはコリント第一15章1-5「1 兄弟 たち。 私 が あなた がた に 宣 べ 伝え た 福音 を、 改めて 知らせ ます。 あなた がた は その 福音 を 受け入れ、 その 福音 によって 立っ て いる の です。 2 私 が どの よう な ことば で 福音 を 伝え た か、 あなた が た が しっかり 覚え て いる なら、 この 福音 によって 救わ れ ます。 そう で なけれ ば、 あなた が た が 信じ た こと は 無駄 に なっ て しまい ます。 3 私 が あなた がた に 最も 大切 な こと として 伝え た のは、 私 も 受け た こと で あっ て、 次 の こと です。 キリスト は、 聖書 に 書い て ある とおり に、 私 たち の 罪 の ため に 死な れ た こと、4 また、 葬ら れ た こと、 また、 聖書 に 書い て ある とおり に、 三日 目 に よみがえら れ た こと、 5 また、 ケファ に 現れ、 それ から 十 二 弟子 に 現れ た こと です。 」福音の三要素①キリストは私たちの罪の為に死なれたこと②キリストは葬られたこと③キリストは三日目によみがえれたことこの3つを受け入れ信じて救われますなにかを足したら福音では無くなりなにかを引いても福音では無くなりますこの3つだけで福音ですシンプルすぎて人は受け入れるの難しいのです。ごちゃごちゃ書きたくなりますが救いはこれだけです。エペソ2:8・9「8 この 恵み の ゆえ に、 あなた がた は 信仰 によって 救わ れ た の です。 それ は あなた が た から 出 た こと では なく、 神 の 賜物 です。 9 行い による のでは あり ませ ん。 だれ も 誇る こと の ない ため です。」救いは 恵み と 信仰 のみ行い(業)によることはない使途の中にルカが教会誕生から救われていく様を分かりやすく人類を3種類に分類し書いてくれています①2章で②8章でサマリヤ人(③10章で異邦人(我々)すべてにイ我々異邦人が適用すべき③の10章でイタリヤ人百人隊長が上記の福音を聞きそして救われたイタリヤ人百人隊長が洗礼を受けると書かれています。ということは、洗礼は救いの条件ではありません何度も繰り返しますが”救いの条件は福音の3要素を信じるだけ”です恵みと信仰によりますこれを知ったときは、信じるだけ!そーなの!驚きでしたとても謙虚にされますこの”救い”に関しては、いくつかの複数の牧師に聞きましたが、皆一致していました。 今後、この福音=東京キリストの教会的救いの条件”信仰の土台”なのかこの福音≠東京キリストの教会的信仰の土台救いの条件”信仰の土台”なのか検証したいと思います。 キリストを受け入れ人生が変わる「何をすれば救われるのか。何を信じれば救われるのか」という質問は、よく聞かれるものです。聖書にも似たような質問が、クリスチャンではない人々によってされています。(使徒行伝2・37, 16・30)。この質問に対する答えは、使徒行伝16・30「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と書かれています。使徒行伝3・38では「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい」と書かれています。具体的には3つの段階があります。イエス・キリストが、天にいらっしゃる唯一の神のひとり子であること、そしてこの方があなたの罪のために、十字架上で死なれて3日目に復活したことを信じる事です(1コリント15・3-4)。主イエス・キリストは、あなたの人生の先生であり人生の師です。あなたを罪の呪縛から解放してくださる救い主でもあるのです。これらの事を心から信じる事です。 過去に犯した罪、あるいは自分の心に宿っている邪悪な部分を神に告白しましょう。過去にどんなに凶悪な罪を犯していても、人が悔い改める時に神が赦せない罪はありません。本当の自分を神に見せる、見ていただくのです。逃げも隠れもすることはできません。悔い改めるとは、人生の方向転換です。自分が考えていた生き方から方向転換をして、「主よ、私に生き方を教えて下さい」と祈ってみましょう。主イエス・キリストをあなたの人生の師と信じ罪を悔い改めたら、主イエス・キリストに名によってバプテスマを受けましょう。バプテスマは、その信者が主イエス・キリストと共に死んで共に生きるために神が定めた儀式です(ローマ6)。単なる儀式と軽く考えてはいけません。神ご自身が、証人としてあなたの信仰告白を聞き、あなたのバプテスマを見ているからです。そして、あなたを聖霊で満たしてくださるでしょう。イエス・キリストがヨハネによってバプテスマを受けた後、神の霊が降ってきてキリストの上にに宿りました。そして天から声が聞こえてきたのです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3・17)同じように信じる者を神は祝してくださいます。ある一部の教派では、「信じた時点で救われている」と教えていますが、私たち人間にどの時点で救われているかを判断する権利は与えられていません。救いは神のわざです。神が、キリストの福音によって人々を招き、それに応えた人々は信仰告白をして、信仰によって罪を悔い改めバプテスマを受けます。バプテスマは、ある一部の教派では「人間の行い」と解釈されますが、私は「神のわざ」と解釈しています。神はバプテスマを通して、その人を罪に死なせ復活させるのです(ローマ6章)。一度、主イエス・キリストを受け入れクリスチャンになったら、後はどのような生き方をしていいかというと、そうではありません。この最初の信仰告白、悔い改め、バプテスマは最初の一歩にすぎません。クリスチャン人生のスタートラインに立ったに過ぎないのです。この人生を全うするまで、主イエス・キリストに従っていきましょう。この意味で、救いは継続的プロセスとも言えます。クリスチャンになったら「こっちのもの」と考えるのではなくて、自分自身が「神のもの」になるのです。神のしもべとして生きていきます。「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネ14・6-7)イェスは、私たちの創造主なる神がどのようなお方かを示して下さった。イェスを信じる信仰は、神へと導かれる。イェスとつながる道は、神への道である。イェスを知れば真実の神を知ることになる。今日も守られますように。」
聖書と福音では新改訳聖書を使用しています。 2018年9月放送分までは聖書新改訳第3版を、2018年10月放送分からは聖書新改訳2017より、聖書のことばの引用をいたします。 Please select the Tab Content in the Widget Settings. 東京キリストの教会的救いの条件の検証の前に 聖書的に人はどのようにして救われるのか 新約聖書の”福音”とは エペソ1:13 「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、 あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、 約束の聖霊によって証印を押されました。