こんにちは!e.c.ひなどりです。私たちは日々、劇の練習は勿論、演技力向上のために遊びやゲームを交えたような練習も行っています。部員は随時大募集中です♪ 性別・動機・経験の有無などは問いません。 興味のある方は、お気軽に練習場所まで。
新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログイン公式facebook公式twittergooIDで新規登録・ログイン外部サービスのアカウントで※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。まだ会員でない方、会員になると 「 Q&Aの参照履歴新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログインおすすめ情報 こんばんは。新規登録・ログインgooIDで新規登録・ログインおすすめ情報 「お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!専門家※過去一週間分の回答数ランキングです。この専門家の回答をチェックこの専門家の回答をチェックこの専門家の回答をチェック4この専門家の回答をチェック5この専門家の回答をチェック スキルアップや表現力向上に役立つ指導法、練習方法など、演劇指導者のためのdvdを企画販売しています。演劇のトップレベルの指導者の理論や実践、アイデアをdvdでわかりやすく解説しています。 「 「 入力中の回答があります。ページを離れますか?※ページを離れると、回答が消えてしまいます入力中のお礼があります。ページを離れますか?※ページを離れると、お礼が消えてしまいます 「 シアターゲーム。それは稽古前にテンションを上げたり、仲間とのチームワークを向上させるために行うもの。 その種類はものすごい数があり、またやり方も人によって若干違ったりもします。 今回は私、加藤が経験してきた中で気に入っているおすすめシアターゲームを紹介します!
東邦高等学校は、私立学校で1923年創立、90年の歴史があります。「真に信頼して事を任せうる人格の育成」を建学の精神に掲げ、校訓「真面目」のもと、自治を重んじ、真面目に行動し、愛と平和を希求する、誰からも「信頼される人」の育成をめざします。 「 「 「 「No.13No.12No.11No.10No.9No.8No.7No.6No.5No.4 シアターゲーム。それは稽古前にテンションを上げたり、仲間とのチームワークを向上させるために行うもの。今回は私、加藤が経験してきた中で気に入っているおすすめシアターゲームを紹介します!1.参加者全員で円を作り、1人ずつ自分が呼ばれたい名前を発表していきます。これはシアターゲームです!でも戦いってなると、どうしてもアツくなっちゃうのが男の子です…1.まず手の甲に10円玉を乗せます。この時にギュッと押し付けると落ちにくくなり、ゲームが白熱します。これも有名なインプロのシアターゲーム。発想力と演技力が必要だ!1.イスを1つ用意して、1人がそれに座ったところからゲームスタート!今回紹介したのは上記の3つだけですが、シアターゲームはまだまだたくさんあります。なかなかキャストが仲良くなれない現場や、少し稽古がマンネリ化してきた時などの気分転換にも、是非やってみてはいかがですか?この記事が気に入ったら最新記事をお届けします。©Copyright2020 「中学校演劇部のための中学生に合った練習内容+指導・練習方法を紹介しています。発声練習、台詞練習、シーンの創り方、さまざまな感情を表現する方法、即興の効果的な利用法などを紹介しています。 蜷川幸夫という名演出家は、世間の注目を浴びる前に、何本もの本の演出プランを持っていました。蜷川さんは知らない人が多いですね。 ジブリの宮崎駿を始め、監督をつとめた人は、日頃から、何本もプランを持っています。「紅の豚」というアニメをご存じでしょうか? 「カッコイイとはこういうことさ」がテーマでした。この本のアイデアが決まるまでに数年を要しています。マニアならご存じでしょうが「豚の虎」というアイデアもありました。宮崎さんは、モデルになるドイツの老人にも会ってこられました。でも、これはダメだと思うとあっさり捨てました。監督=演出というのは、かほどに難しいものなのです。 なんだか脅かしのようですね、気楽にいきましょう。とにかく読み込んで、今読んでいるところが全体では、どこにあたるのか、どんな意味があるのかまで分かるように読み込んでください。 例えて言うと、今の学校に入学したときの頃を思い出してください。右も左も分かりませんよね。それがどうですか、三年生にもなると学校の様子はほとんど分かっていますね。中には、先生の目をかすめて校外に抜けられる抜け道まで知っている人もいます。 そこまでいかずとも、この先生は「こういう人だ」と知っていますよね。この先生は、静かにさえしていればいい。また、ある先生は、こそっと携帯をいじっていても気づかないフリをしてくれるとか、あの非常階段は、ワルのたまり場になっっていて寄りつかないほうがいいとか、食堂のメニューは何がイチオシだとか……そういうレベルまで本を読み込んでください。 例えを続けます。転任の先生が「今度の耐寒訓練にはフルマラソンをやろう!」などと言い出したら、どうでしょう? 「そんなのムリ~!」と、思うでしょ。自分の学校をよく知っているから判断がつくんです。台本も同じです。「この表現は、うちの演劇部にはムリ~!」と、分かったら、他の表現にかえればいいんです。「フルマラソンは無理です。せめて、学校の外を10周にしましょう」という提案をするようなものです。「そのかわりショボクレちゃいけないので、スタートの時は花火をあげましょう! ゴールした子には食堂のうどんの券をあげましょう!」……これ、わたしが現役の教師だったころ、耐寒訓練を縮小したときに実際やったことです。大いに盛り上がりました。 これが演出なんです。少し分かってもらえたでしょうか。 自分たちの力、個性をよくつかんで、力の中で、個性の範囲で一番光るように持っていくのです。たとえ話を続けます。学校でこれは無駄、または無理と思っていることはありませんか? 使いもしない守衛室。だれもこない同窓会館。なにやってんだかよく分からない総合学習の時間。などなど……そういうものは、廃止するか、縮小すればいいんです。具体例を二つほど……かつて学校では宿泊学習が流行った時期がありました。一年の四月の終わり頃にやっていました。あれ、準備と、お金が大変なんです。延べ二十人くらいの先生達が、延べ何千時間という時間を、忙しく大事な学年始めにとられます「そんなことをやる暇があったら、もっと生徒と接触してやろう」と、主張して、三年がかりで廃止にしました。今、やっている学校はほとんどありません。また女子の体育の時間のブルマ、今はほとんど絶滅してハーパンに替わっています。これも現職時代に、女子から「せめて、体育祭の時ぐらいジャージにして欲しい」という声がもとで変わりました。 演出も同じです。これは「うちのクラブでは無理」と分かったら、止めるか、他のものに置き換えます。【実例】一昨年から去年、わたしは、ある高校の演劇部のコーチをやっていました。たまたまそのクラブがわたしの本を演ってくれることと、顧問の先生とのクサレエンで、そういうことになりました。「パリーホッタと賢者の石」という芝居で、コメディーです。なかなかコメディーにはなりませんでした。なんとか芝居らしくしてコンクールに臨みました。案の定、予選落ちでした。で、次の年は「ノラ」というSFロボットコメディーを演りはじめました。途中から、「これは無理だ」と思いました。6人という大人数の芝居にクラブが慣れていないのです。また、ロボット的コミカルさが出てきません。そのうち欠席者が増え、主役級の役者が、役が出来ずに落ち込んでしまいました。 そこで景気づけに名古屋音大のミュージカルコースの学生さんたちが演ってくれた「すみれの花さくころ」という芝居のDVDを見せました。「こんなんできたら、ええやろなあ~」と、ため息と憧れの両方を見せてくれました。 「ほんなら、これでいこか!?」ということで「すみれの花さくころ」をやることになりました。登場人物はほとんど2人、女子高生役で一人出ますが男に書き換え、3週間ほどで仕上げました。ロボット的コミカルさで悩んでいた男子は吉本的気楽な役で、いわばハマリ役でした。三人とも唄うことがすきだったので、気づけば挿入曲が6曲にまで増えていました。あとは、舞台上でのリアリティーにこだわって(あとで述べます) 部分によっては状況だけ説明して、役者たちに自由にさせたところもあります。バイトがあったり、兼業部員が多いこともあって、道具は大幅に簡略化しました。そしてコンクール。予選では全員個人演技賞と最優秀賞をいただきました。アマチュアやプロの人相手に芝居を作ってきたので、我ながら、うまく欠点を隠し、長所を引き出せ、高校演劇としては一級品に仕上がったと思いました。本選では、審査員の演劇的主観に合わず選外になりましたが。作品としては一級で、協力いただいた大学の先生も喜んで下さいました。本論に戻ります。演出とは、自分のクラブの個性を知り、本の個性を知り、マッチさせていく仕事で、ザックリ言って、出来ないもの、苦手なものを見極め、理想と現実の間に折り合いをつける仕事です。 お気づきの方もいるかもしれませんが、わたしは演出とプロディユーサー、舞台監督の仕事をごっちゃにしています。少人数のクラブでは、それらを分けることは、無理だし、無意味でもあります。当然顧問の先生のアドバイス(主に励ますこと、今の子はノルのも早いですが、落ち込むのも早いです)が必要なことは当然です。【高校演劇の基礎練習としての演出】役者に必要なように、演出にも基礎練習が必要です。沢山書いては混乱するだけなので、少なくまとめます。静物画の用意をするように、物を並べます。お店のショ-ウィンドウの飾り付けをやっているつもりでやればいいでしょう。それをシャメに撮って品評会をやりましょう。役者は商品です。いかにお店のコンセプトに合わせてきれいに見せるかが大事です。この舞台上での役者の配置をミザンセーネといいます。一番になったシャメを今度は絵にしましょう。演出とは舞台という額縁(本当にそうよびます)に絵を描く仕事なんです。出来た絵をさらに品評会にかけましょう。同じシャメを見ても、描く絵は様々です。 役者を花に見立てて、人間生け花をやってみましょう。これは役者の訓練にもなります。最近の子は、あまり花の名前を知りません。具体的な花でなくてもかまいません。「赤くて、大きくてゴージャスな花」ぐらいでけっこうです。むろん図書室へいき、植物図鑑を見て決めてもかまいません。 部員全員を使って飛行機をつくってみましょう。むろん役者の体を使ってです。役者には、飛行機のどの部分をやっているか自覚させて、できるだけ大きな飛行機にします。できたら、離陸から着陸までやってみましょう。 演出は、各場面ごとに絵コンテを描きましょう。稽古場に臨むまえに描いておき自分の中に明確なイメージを持っておきましょう。むろんそれは固定されたものではありません。稽古では何が飛び出してくるか分かりません。いいと思ったら、こだわらずに替えればいいのです。ただ、演出が最初からイメージを持っていないことはいけません。 稽古場のモチベーションの源になるのは演出です。絶えず前向きに明るくあってください。むろん他の役者やスタッフもそうでなければなりませんが。中心は演出です。 あと、できたら、いろんな芝居を観て目を肥やしていてください。芝居が無理なら、映画、DVD,小説、マンガでもかまいません。物を見る目を研ぎ澄ませてください。【次回予告】道具と照明につぃて語りたいと思います。おそらく、みなさんの常識を外れたものになると思います。 大橋 むつお(劇作家、劇団大阪小劇場代表)毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。【演技】演劇の三大要素は、観客・戯曲・役者の三つです。まずこれを頭に置いてください。まず役者の演技について話を広げていきたいと思います。演ずるということは、嘘をつくことです。例えば、学校をズル休みしたいために仮病を使うときがあります。「なんだか気分悪くて……」「お腹が痛い……」 たいていばれてしまいますが、中には親もコロっと騙されるほど真に迫った演技ができる子もいます。「気分が悪くて……」と、言っているうちに、本当に気分が悪くなることがあります。本当にお腹が痛くなることもあり、お医者さんにいくと(急性胃腸炎)と診断されることもあります。例えは悪いですが立派な演技です。本人も、「学校を休みたい」という気持ちを離れてその気になってしまうのです。テレビゲームなどが無かった時代、小さな子供たちは、段ボールの箱などに入って、自動車にしたり、飛行機にしたり、自分だけのお家にして遊んでいました。「00ちゃん、なにしてんの?」と聞くと、「自動車ウンテンしてんの」などと答えが返ってきます。真剣な顔で「ブルルーン」などとやっていて、傍目にはおかしいのですが、ちゃんと自動車を運転しているように見えます。おかしくって、おもしろくって、しばらく見惚れてしまうこともあります。もう一時代前の子供は箒(ほうき)にまたがり「お馬さん、パッカパッカなどとやっていました」なんせ、そのころは、本物の馬がいましたから、またがった箒のリズムなど本当の馬のようでした。蒼井優という女優さんがいます。子供のころに「魔女の宅急便」を見て、自分もキキななれると思い、黒のワンピースに赤いリボンをつけ、デッキブラシにまたがり「飛べ…飛べ……」と、やっていらっしゃったようです。まず、ここから入りましょう。高校生にもなると、段ボールに入っても、デッキブラシにまたがっても、なかなかF1のドライバーにも、魔女のキキにもなれません。 ロープ無しで集団縄跳びをやってみましょう。二人がロープの端を持ち、回します。すると残りの人たちの視線が見えないロープを追っていることが分かります。そして、順に回るロ-プの中に入っていきます。女子が多い演劇部、きっと盛り上がります。見えないロープ(無対象と言います)なのに、ロープが足に絡んだりすると「キャー」とか「もう」とか「あらー」などと声があがるからおもしろいものです。 これ無対象演技と言って演技の基礎です。 玉子を割ってみましょう。案外、玉子を手に持った感覚というのは難しいものです。家で本物を持って感覚を確かめてください。割るときの力のいれ具合もやや難しいようです。実際にやって体で記憶しましょう。割ったあと手前に90度ほど玉子を回して割ったところを、左手の親指が楽にくるポジションに持ってきていることに気づけば「ああ!」という発見があります。無対象演技には、このようにコツがあります。いろんな無対象を試して演ずることに慣れてください。役者は自分の感性を自由にしなければなりません。感性とは喜怒哀楽のことです。人前で笑顔になれない子が日本人には多くいます。いわゆる「恥じらいの文化」で、われわれのDNAに組み込まれたもので、今の子でも、あまりできません。アメリカ人などは、笑顔が上手いですね。子供のころからそういう文化の中で育っているからです。AKB48の子達の笑顔いいですね。鏡を見て、笑顔の練習をしてください。目標はAKB48でいいでしょう。笑顔で大事なのは顔面筋、とくに頬にある笑筋は、日本人は未発達で、「笑顔!」というと虫歯が痛いのを堪えたような顔になります。しかし、鏡を見て練習すれば三日もあればできるようになります。ただ、家で一人ならできるのに、みんなの前ではできないということがあると思います。人間には、人前では見せたくないというブレーキのかかる感性や、行動があります。 無対象で服を着たり脱いだりしてみてください。服の着脱というのは、意外に全身運動であることがわかります。ブレザーやカーディガンを着ると、右腕を通すとき左手で左の身頃を無意識にひっぱっていることなどに気づけば、縄跳びほど楽ではありませんが、わりと誰でもできます。本題です。では、皆の前で無対象で服を脱いでお風呂に入ってください……たいていの人ができません。恥ずかしいのです。役者が超えなければならない感性の壁が、ここにあります。プロではありませんので、こんなことできなくても高校演劇はできます。一度コンクールの芝居を観て驚いたことがあります。無対象の女子トイレを設定し、そこで用を足す無対象演技をやってのけた学校がありました。脱帽でした。 まあ、トイレや風呂まで演れとは言いませんが、自分の感性のタブーはなるべく減らしておきましょう。【役者としての筋トレ】並の学校生活をおくっていれば、体育会系のような筋トレはいりません。役者の筋トレはまるきし違います。 まず筋肉には三種類あることを理解してください。「随意筋」手足や、体一般を動かす筋肉です。「手を挙げて」「右足前に出して」……誰にでもできますね。 「不随意筋」自分の意志では自由にならない筋肉です。「心臓止めて!」……できませんね。 大事なのは「半随意筋」です。訓練次第では自由になる筋肉のことです。日本人には先ほど述べた顔面筋がこれにあたります。ウィンクできますか? できない人が多いです。生活習慣にウィンクが無いため、日本人はひどく苦手です。アメリカの映画を観るまでもなく、大統領や国務長官のスピーチを見ただけで、かれらの顔面筋が自然に鍛えられていることがわかります。 もう一つ大事な「半随意筋」があります。「横隔膜」です。胸と、腹の間にある筋肉で、呼吸の大半はこの筋肉が担っています。「横隔膜」は一見「随意筋」です。「息を止めろ!」と言われればできますよね。 では、「横隔膜」をケイレンさせてみてください。難しいことではありません、クシャミをすれば一回ですがケイレンします。では、連続してケイレンさせてみてください……クシャミの連続ではありません。もっと小刻みに「ハ、ハ、ハ、ハ……」と。 そう、これは笑いなのです。笑いというのは横隔膜のケイレンなのです。「ハ、ハ、ハ……」の間隔を詰めて笑いになるまでやってください。そして、時間にして30秒は笑えるように、「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」全てで笑えるように。 「泣き」も横隔膜のケイレンです、激しい場合、過呼吸から泣きじゃくりになります。 この「笑い」「泣き」も感性の壁があります。人前で泣くことにはブレーキがかかりがちですが、この程度の壁は乗り越えてください。【発声】よく、「腹から、声を出せ!」と言われますが、精神的にはともかく、実際には意味がありません。お腹は「グー」とか「ゴロゴロ」としか言いません。大阪の大学で、演劇を教えている先輩が、こぼしていました。「高校演劇出の学生は、声を張ることしかしらん」 声は喉にある「声帯」から出てきます。これが硬口蓋にぶち当たり、その上の前頭洞を振動させることで、頭骨が振動(マスク共鳴)することによって、自然な声でもよく響く声になるのです。 では具体的に。舌で上の前歯を触ってください。最初硬いでしょ、そこを「硬口蓋」と言います。さらに奥をなぞっていくとストンと柔らかくなっているところがありますね、それを「軟口蓋」と言います。「声が小さい」「響いてない」と言われる人は、声帯で生まれた声がこの「軟口蓋」に逃げて響かなくなっている人です。これで理屈は分かったと思います。では、メソードを。口を閉じてハミングしてください。そのとき口の中はできるだけ大きく広げていてください。そして「ウ~」と、ハミング! どうですか、顔の前のほうが振動していることが分かりますでしょ。次に、そのまま口を開きます。ただ口から息を出さないでください。まだ、響いていますね。そうしたら次に、鼻と口の両方から息を抜いてください。そして、まだ同じように響いているようなら、今度は口から」だけ息をだして響いているようなら完成です。 しかし実際は、この口から抜く段階が難しく、挫折する人が多いようです。 自転車に乗る感覚に似ています。最初は慣れません。ガチガチです。でも自転車に慣れたころを思い出して根気強くやってください。【総論】もっともらしく述べてきましたが、高校演劇の基礎練習としては、かなりストイックなもので、なかなか長続きしません。わたしは、思い切って、いままで述べて来たことは、最初レクチャーしただけで、あとは個人に任せています。「誰でも良いから、憧れの女優さんを一人持ちなさい」と、今は言っています。憧れていれば意識してその人の演技を見ます。また真似もします。このほうが効果的かと、今はそうしています。わたしもいろんな人のメソードをやってみましたが、気づくと、憧れの役者さんの真似をしていました。滝沢修、宇野重吉、尾形拳などなど……標準語を覚えたのは、小学生のころNHKのニュースをアナウンサーのあとに続いて声に出すことで覚えました、上手かどうかは分かりませんが、「好きこそ、もののナントカ」であると思っています。【次回予告】演出論を手短にやってみたいと思います。 大橋 むつお 毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。 毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。 正直、創作劇を書くのは難しいのですが。世の中にはアイデアで、けっこうイタシテしまう人もいますので、『創作劇の書き方』を、お話します。【弱い人ほど良く書ける】戯曲を始め、書き物というのは、「弱い人ほど良く書ける」と思っています。弱い人間というのは、感じやすい人です。感じやすい人は、強い人なら何にも感じないことに、ひっかかるものです。そのひっかかるものに、表現意欲と、表現力がつけば、そこに作品が生まれます。【恋いの三段跳び】という詩をつくった子がいました。今から40年ほど昔の女子高生です。こっそりわたしに見せてくれました。ホップ、あなたに恋いをして。 ステップ、あなたに近づいて。 ジャンプ……しても、とどかなかった。 良い詩だと思いませんか。失恋した自分の心を癒すために書いた詩です。傷ついてはいますが、そういう自分を、カラッと、可愛く突き放して書いています。本人の名誉のために言っておきますが、とても可愛い子でした。松田聖子によく似ていて……彼は、松田聖子が好きではなかったようです。 【わたしは、とんでもないフラレ男でした】50回は失恋しています。だから、モテル人よりも、モテナイ人の心情がよく分かります。その心で、『ロミオにふられた、ロザライン』を書きました。モテル人が、『ロミジュリ』を読むと、ロミオとジュリエットに心が傾斜していって」しまいます。わたしのようにフラレっぱなしの男が『ロミジュリ』を読むと、あることに気づきます。 ロミオはジュリエットと知り合うまでに、ロザラインという彼女がいたのです。飲み屋の娘で、ロミオもかなり熱を上げていたことが分かります。登場はしません。ロミオと彼の友人の会話の中に2度ほど出てくるだけですが、ストーリーの結果から、ロザラインはフラレたことには間違いありません。そのロザラインの心情に立って、ジュリエットの亡霊とお話させてみました。放っておくと、原稿用紙の中で大げんかを始めました。公平、公正を旨とするわたしは、ジュリエットを太陽の光で消滅させ、ロザラインは毒薬で、ロミオの頭蓋骨を抱きながら死なせました。ただ、その頭蓋骨は、墓から取り出すときに失敗して、ジュリエットの頭蓋骨ではありましたが……天王寺区にある女子校が一度演ってくれましたが、シェ-クスピアの文体模写をやったので、苦労されたようです。【白雪姫に王子さまがキスをしなっかったら】白雪姫は、毒リンゴを食べたあと仮死状態になり、白馬の王子さまがキスをして生き返り、めでたくハッピーエンドになります。そこで、王子さまがキスをしなければ……と、ふられ男のわたしは考えました。王子さまがキスをするのは求婚の象徴です。結婚というのは、人にもよりますが、かなりの決心がいります。わたしも長い人生の中で、女の子のほうから告白されたことがあります。わたしも憎からず思っていたのですが、いざというと躊躇する自分がいました。結婚とは、互いが、互いの人生に責任をもつことです。で、考えてしまうのです。当時のわたしはフリーター同然の非常勤講師でした。大学も当時世間では三流大学と言われた桃山学院を出たところで、赴任先の校長に、こう言われました「大橋君(先生ともよんでもらえませんでした)桃山出て、高校の採用試験通ったやつ、おらへんで、悪いこと言わへん、進路変更しぃ」ただでも自信の無かったわたしはオチコミました。しかし桃山学院の名誉のために申しあげておきますが、教師になってから分かりました。二人、わたしより先に採用試験に通り、高校の先生をしている先輩がいました(校長は偏見と予断で、わたしに言ったのです) 非常勤だけでは食えないので、テレビのエキストラもやっていました。ちょい役でしたが、台本に役名が載り、大女優さんと同じフレームに収まっていたりしました。しかし、実態はフリーター同然でした。彼女が告るのには、相当な勇気と、わたしへの信頼があったのでしょう。でも、そのときのわたしには主に経済的な見通しから、彼女を幸せにする自信がありませんでした。だから、刹那(一瞬)躊躇してしまったのです。時間にして十秒ほどの間が空きました。その十秒で、彼女は話題を変えてしまいました。今と違い、女の子のほうから告るのはとても勇気のいる時代でした『時をかける少女』の実写版で主人公のアカリが1974年にタイムリープして、こんな台詞がありました「この時代のオトコってめんどくさいね」 まさにそうでした。で、そのころに『白雪姫』を読み直してみたのです。「王子さまて、勇気あるなあ」と、感じました。白雪姫と結婚するということは、彼女にまつわる問題を背負い込まなくちゃならないのです。悪い妃によって荒れ果てた領地の回復、離れてしまった民心を取り戻すこと(今の日本の首相を見ていても民心が、離れ、国難にあった政治家はむつかしいということが分かると思います) 白雪の領地を自分の領地に併合することで、まわりの国から見られる疑心暗鬼は、王子の国の外交をひどく難しいものにしてしまいます。だから「オレが王子さまやったら、きっとためらうなあ……」 ここから生殺しのような状態におかれた白雪の悲劇が始まる……『ステルスドラゴンとグリムの森』という作品になりました。【走れメロス】をご存じですよね、友人セリヌンティウスを救うため、メロスは、自分に打ち勝ち、友人を助けるという太宰治の名作です。あれは、太宰の体験が基になっています。 友人たちと箱根かどこかの旅館にとまり大騒ぎ、ところが、だれもお金を持っていません。そこで太宰は、「知り合いの偉い人から借りてくる」と言って一人東京にもどります。しかし、太宰は戻ってはきませんでした。後日、それを「よく、そんなことができたな!」と詰め寄られると、太宰はこう言いました「君たちは分からないだろう、待つ者の苦悩より、待たせる者の苦悩の方が、何倍も強く、苦しいのを」 実に勝手な言い分ですが、ここから、「待たせる者の苦悩」を描いた名作『走れメロス』は生まれたのです。【少し畑はちがいますが】小説の作方で、お話したいと思います。一昨年のことになりますが、出版社 から、「高校演劇の基礎練習について書いて欲しい」と言われました。売れない本書きなので、断ったら、あとの仕事がありません。「喜んで!」と、返事はしましたが、鉛を飲んだように、気が重かったです。この手の入門書、めったに売れません。演劇の基礎練習など、口で説明するのも難しいのに、文章では……【もう一つ、エライことを引き受けました】ある、大阪市立の演劇部が、わたしの作品を演るというので見に行ってしまったのです。そしてシマッタのです! 一年間、その演劇部のコーチをやるハメになりました。現場で指導されている先生なら、よくお分かりだと思うのですが、クラブというのは思ったようにはいきません、進路やバイト、ほかの部活との兼業、演劇部に独特な人間関係の難しさ(ガラスと、鉄が入り交じったような心をした子が多く、ひどく傷つきやすく、反面傷つけやすい子が多いです。まあ、こういう感受性をしていないと、感受性そのものである芝居など出来ませんが)【そこで閃きました!】この感受性の相克そのものを書いてみれば、技術面だけでなく、メンタルな面も含めて、高校演劇全体のマネジメントを表現できるのではないかと……演劇部の生徒は部活を通して、技術的に成長するだけでなく、人間的にも成長(少なくとも変化)していきます。本が全国紙であるため、大阪弁だけで書くことはできません。そこで、東京から、親の離婚がもとで大阪のY高校に転校してきた坂東はるかという少女を主人公にしました。顧問の強引さから、演劇部に入れられ、そこで、たった二人の先輩部員と、コーチに出会います。大阪と東京の文化の違いにとまどう主人公。大阪での親友に由香という子を、高校を少し斜めに見ている生徒会長吉川を配置しました。吉川は中学のときに横浜から大阪に来た子で、大阪と、高校の部活に斜めの思いがあります。サックスが上手く前の学校では軽音に入っていましたが、あまりの技術の差から、トラブルを起こし、過年度生として、このY高校に入ってきています。彼は部活を「遊び」だと定義づけます。だから、しだいに演劇部にのめり込んでいく、はるかを見る目は複雑です。最初は同じ演劇部員だった親友の由香は、家庭事情で、演劇部を離れていきます。はるかは、両親の仲をもとにもどそうとひそかにタクラミも持っています。吉川 と、はるかの連絡役をやっていた、由香はいつのまにか吉川に心が惹かれ、はるかとの友情の板挟みに悩みます(由香は、はるかと吉川は、いい仲だと思って います) 三回の公演とコンクールと、はるかの、坂東家復活のタクラミが並行して進んでいきます。その中で、仲間の退部、それに伴う人間関係のこじれ、役者としての頭打ち。吉川との人間関係の変化(吉川は、最初は同じ関東人としての親近感から、はるかに関心を持ち始め、恋心に変化し、やがては、ジャンルこそ違い、同じ「物事に打ち込む者」同志として、はるかを陰日向に応援します。結果的に、はるかの坂東家復活も、コンクールでの最優秀受賞も果たせませんが、演劇人として、高校生として大きく成長していきます。はるかの成長と共に、演劇部のあり方、練習の仕方、マネジメントの仕方がわかるように書けました。 【本題】に戻ります。本の書き方は多様ですが、本の中で、同調者と対立者を設定しておくことと、主人公に行動の目的を持たせること。そして、その問題解決のための反対行動(事件や人間)を設定しておき、そこで葛藤がおこり、人間関係に化学変化が起こる(前述の由香や、吉川) そして、結末は書かない方がいいでしょう。ほのめかすだけでいいと思います。本の書き方には、大きく二種類あります。一つは「落語形」 最初にオチ(結末)が決まっていて、そこに向けて本を書いていきます。話としては安定感がありますが、話がパターン化し、わるくすると最初から結末が分かってしまう欠点があります。テレビの『水戸黄門』などは、その典型です。 もうひとつは赤塚不仁夫形、話の最初だけ考えておき、あとは、気の向くままというか、登場人物におまかせ。なんせ、書き始めた時には、作者にも結論が分かっていないですのですから、話の展開が面白くなります。ただ欠点としては、話が破綻(メチャクチャ)しやすいことです。赤塚さんのように「これでいいのだ!」と、言い切るのには、相当の努力と才能が必要です。 実際の劇作家は、この両方を混ぜて使っています。故井上ひさしさんなどは、その典型であったと思っています。【どちらにせよ】「書きたい」という気持ちだけでは本は書けません。物事へのこだわりと、努力、時間が必要です。ジブリの作品に「耳をすませば」というのがあります。本が大好きな雫(しずく)という中三の少女が、聖司君というバイオリン作りの職人を目指す彼ができ、いい意味で対抗するために本を書きはじめます。苦悩につぐ苦悩、夏の終わり頃に「書こう!」と決心し、書き上がったのは初冬。期間にして三ヶ月ほどです。わたしも、一本の本が書き上がるのにそれくらいかかります。前述した『ホンワカ女子高生HBが本格的に演劇部にとりくむまで』略称『女子高生HB』を書き上げるのにも、それくらいかかりました。コンクール、文化祭に向けては、すこし厳しい時間にきています。他のブログでも述べましたが、先輩たちが残した創作劇に手を加えてみるのもいいと思います。 以上、参考になれば幸いです。 大橋 むつお 毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。【基本原則】演劇の三要素は、観客・戯曲・役者の三つでしかありません。道具・照明は脇役にすぎません。これ最重要点です。【道具・照明の基本】つまらない芝居で、道具・照明が立派なのは、つまらなさを強調するだけで惨めなものです。野球で言えば、走・攻・守なにをとっても満足にできない野球選手が、ルックスとユニホームだけがかっこいいのに似ています。こんな選手、グラウンドに出ただけでブーイングでしょう。道具は無いのが理想です。ギリシャの悲喜劇、能や狂言、ほとんど道具はありません。照明もただ明るいだけです。イッセー・オガタという一人芝居を演る役者さんがいます。彼の芝居もほとんど道具がありません。つかこうへいさんの芝居も道具の無い芝居が多くありました。くり返します。道具・照明は要りません。【これでは身も蓋もない】ので、今一歩踏み込んでお話したいと思います。芝居の出来がいいときに道具が無いと、芝居が痩せて見えることがあります。そういうときには、適度な道具は必要です。道具には大きく二つの考え方があります。【一杯もの】と、わたしは習いました。例えば室内の芝居であったとしましょう。三方を壁で囲み、ドアや窓を付け、テーブル、ソファー、書架、その他の什器(もろもろの、置き道具)で、リアルに舞台を飾るやり方です。場合によっては、下手に庭、前栽の切り出し、張りぼての庭石、遠見の遠景……などなど、やりだしたらキリがない道具立てです。チェーホフのように情感を大事にする芝居や、豪華さが前提の商業演劇では必要です。わたしも若い頃は、道具に凝りました。町井陽子さんの『山の動く日』をやったときなど、舞台に家一軒建てたものです。道具の製作に一ヶ月、立て込み撤収の練習にまる一週間使いました。最初40分かかった立て込みも、練習の成果があって7分にまで縮めることができました。あのころは、部員が15人ほどいて、専門の道具係などが置けたのでできたことです。部員が5人を割り込むような演劇部には無理です。それに4トントラック一杯分の道具は場所ふさぎで、道具や進行担当の先生や、実行委員の生徒諸君には迷惑をかけました。道具というのは専門にやりだすと面白いもので、つい全体のスケジュールや、演出の意図を超えてやりすぎてしまうものです。わたしも家を建てただけでなく、実物大の戦車や幌馬車、飛行機一機まるまる作ったこともあります。今から思うと邪道でした。クラブに余裕があり、独立した公演ができるようなところは、このやり方でがんばってください。豪華な道具は芝居がいいと、芝居そのものを大きく引き立ててくれます。こういう事が出来る学校は、もうノウハウをご存じなので、お教えすることはあまりありません。ただ一つ。目立ちすぎる道具はいけません。歌舞伎などの道具は原色を使いません。役者より目立つ道具は、歌舞伎ではタブーです。だから遠見と言われる背景幕などは、どれも霞がかかったように淡い色彩になっています。コンクールではこういう道具は迷惑です。10校以上の学校が出場するんです。本選など大きな場所ふさぎになり、最初に搬入した学校など、ちょっとした道具の出し入れも出来なくて、一部の衣装道具など駅のコインロッカーを使わざるを得ない悲喜劇でした。また、リハも道具の立て込み、照明のチェックだけで時間いっぱいになってしまい、それでも時間がおして、他の出場校に影響が出てしまいました。【中心もの】と、わたしはよんでいます。例えば室内の芝居であったとしましょう。一杯ものと違って、椅子と机だけで済ませます。それだけあれば、だれでも、そこが屋内であると理解してくれます。つまり、舞台の中心に、その芝居の状況を感じさせる一つか二つの道具で、中心から外の世界を感じさせます。役者の演技で、舞台空間は無限の広がりを見せてくれます。ですから、同じ芝居をやっても一杯ものだとトラックで2台ぐらいかかったものが、赤帽さんの軽トラだけで済みます。小規模演劇部だけでなく、コンクールなどにはお勧めの道具です。別役実さんの芝居などには、こういう設定が多くあります。【抽象もの】小規模演劇部にお勧めの道具です。劇場が持っている、平台や、箱馬をうまく使うやり方です。平台は、長さ八尺(2・4M)と、六尺(1・8M)の二種類が基本で、幅は共に三尺(0・9M) 高さは四寸(12センチ) 箱馬は45センチ、30センチ、15センチのもので、平台共々単体でも組み合わせても使える便利なもので、椅子になったり切り株になったり、ベンチに、土手に、墓石などにばけることもできます。これなら劇場にあるものなので、持ち込む道具は無しで済みます。ただし本番の日に「使わせてくれ」というのはいけません。リハ前の打ち合わせで言っておくのがルールです。【道具の材料】ベニヤに寸角(すんかく)が、道具の材料としては一般的ですが、これで道具を作ると、案外重たいものです。また、今の子……と言っては失礼ですが、大工道具には慣れていません。また、芝居が終わった後の保管も大変です。湿気の多いところでは、すぐに虫がつきます。道具もすぐにユガミやヒズミが出てしまいます。重量のかからない道具ならボール紙がいいと思います。大型のペーパークラフトだと考えればいいと思います。色は塗らないで、安い生地を買ってきて、ガムテで貼り付けます。観客に見えるところだけきれいに見えていればいいんです。安い!早い!上手い!出来になります。わたしはこのやり方で、大木やら、飛行機(後ろ半分だけですが)を作りました。この道具の良いところは軽さと、後始末のやりやすさです。生地をはがして小さく破ってしまえば、そのまま燃えるゴミに出せます。 【照明】一言で言って「明るければいい」です。特にコンクールなどでは、道具同様凝ったものは好ましくありません。昨年も調光卓を原寸大に描いたもので、コンクール会場のロビーで必死の形相で、照明のオペの練習をしている学校がありました。ところがプリセットがリハの時と違ったものにされていて、パニックになっていました。わたしがコーチをしていた学校でも、ピンスポの灯体が違い、担当の子が慌てていました。今の本選会場は、その位置が北に偏りすぎている点、会場の対応などを考えると、替えたほうがいいと思うのですが、本題から外れますので、言及しません。明るいというのは地明かりのことです。サスの上からの明かり、フロントサイドからのスポットが上下(かみしも)6発ほど、あとはシーリングライトがあれば十分です。ただ上からの明かりにボーダーを使うことは感心しません。光が拡散して、芝居の空間にならないのです。色は赤、青、生が基本になっていますので、ミックスして点ければいいでしょう。ホリゾントは、わたしは基本的には使いません。大黒にしておきます。ホリゾントを使うと空間が具体性を持ってしまうのです。無難に青く染めてしまうと、夕方や夜の場面になったとき変化をつけなくなくなってしまい、それに従ってほかの照明もアンバーにしたり、複雑になってしまいます。大黒の地明かりだからこその自由さがあります。役者が「暗くなってきたなあ」と言えば夜になります。ここで変に凝った照明をすると肝心の役者の表情が見えなくなります。また、地明かりに抽象ものの道具にしておくと、リハで芝居が一本通せます。前述しましたが、芝居の基本は、観客・戯曲・役者なのです。それ以外は脇役、引き立て役だと思いましょう。 それから暗転はなるべく避けたほうがいいと思います。観客の集中が途切れてしまいます。50分の芝居なら、暗転は2回が限度かと思います。【次回予告】わたしの専門でもありますが、劇作について完結に述べたいと思います。この夏期講習は高校演劇の基礎練習の総まとめでもあります。 大橋 むつお 劇作家 劇団大阪小劇場代表毎日、自分の作品(小説、戯曲、エッセーなど)の発表と更新をしています。
こんばんは。 さて、「演劇の新神」ゲームの価格ですが、税別5000円です。 税込で5400円です。 カードのゲームでは若干高いなと、お思いでしょう。 しかし、事情がございます。 現在販売しております「演劇の新神」は、障害者作業施設に依頼して作成しています。 「 私は演劇を学ぶ学校に通っており、役者になりたいという夢があります。 「
「 「 中高一貫校の演劇部に入りました。この質問への回答は締め切られました。 「 「