これを受けて1992年にピットガレージやコントロールタワーなどが改修されたとはいえ、施設の全体的な老朽化は否めず、1997年(平成9年)のさらに上記のように、屋根部分が少なくコンクリートむき出しのグランドスタンド席や汲み取り式トイレ、老朽化したレストランや建物など観客用施設はオープン当時のままで、バブル期のモータースポーツブームが終わり集客に苦心していた中、子供連れや女性客の獲得だけでなく、バリアフリーの観点からも早急な改修を望む声が観客やエントラント側からも多く上がっていた。 ヘアピンを抜けると右の超高速コーナー300Rへ入り、全開のままダンロップシケインへ入る。新しいダンロップシケインはフルブレーキから右に大きく切り返し、すぐに左に切り返す形となり、旧コースに比べて通過速度は下がっている。2018年7月20-22日に開催されたブランパンGTアジア第7戦では、シケインの舗装に剥離が生じたため、急遽、シケインをショートカットする直線部をコースとして使用した例があるコース終盤のテクニカルセクションは坂を上りながら、ブラインドでラインが複数ある難易度の高いつづら折りのコーナーが3つ連続で続く。最終コーナーはラインが複数あり、カテゴリーにもよるがインベタで回るドライバーもいれば、外を回るドライバーもおり、ここの脱出がストレートの速度に影響するため、非常に難しいコーナーとされている。 長い直線から最大のオーバーテイクポイントとなる1コーナーは、旧レイアウトよりも鋭角なヘアピンとなった。2コーナーからの坂はなだらかになり、3コーナーへ。サントリーシケインは廃止され、ブラインドの高速左90度コーナー(100Rはランオフ確保のため、旧レイアウトよりも手前に置かれ、大きな弧を描く高速右コーナーで、旧コースよりもカーブが緩くなり通過速度は高くなる。ヘアピンも若干手前に変更され、100R出口からヘアピン入り口の距離は縮み、ブレーキングが非常に難しくなった。
各コースごとに走行料金が設定されており、また安全のためにラップタイムやマシンカテゴリーごとに時間帯が区切られている。なお時間ごと、もしくは全日での貸し切りも可能である。またコース以外にもイベントスペースや駐車場エリアの貸し切りも可能である。なお、貸し切りイベントや貸し切り走行会以外で各コースを走る際には、サーキットライセンスの取得が必要である。 その後10月には、富士スピードウェイに隣接する土地を所有しており、そこで1966年(昭和41年)1月3日にオープン。最初のレースイベントは3月12日に開催された、アマチュアライダーによる2輪レースである「第7回全日本モーターサイクルクラブマンレース」だった。この時、まだ一部の観客席が建設中であったにもかかわらず、1万人の観客を集めたさらに5月3日に開催されたまた、1966年の「インディアナポリス・インターナショナル・チャンピオンレース」(通称:しかし、1973年(昭和48年)と1974年(昭和49年)には富士GCで死傷事故が起こり、名物の30度バンクが閉鎖された。さらに同年に起きた「1976年(昭和51年)には、運営の赤字やこの事故の影響により翌年の開催はキャンセルされ、1987年(昭和62年)に鈴鹿サーキットで開催されるようになるまで、F1の日本開催は9年間中断することとなった。 富士スピードウェイに隣接して、かつて富士スピードウェイを運営していた三菱地所の子会社が所有しているゴルフ場「東富士カントリークラブ」と、大型公園東西ゲートの徒歩圏内に市街地や観光地に囲まれていることから、国内の他のサーキットと比べ交通手段は比較的恵まれており、観客は「東ゲート」もしくは「西ゲート」の2つの入場ゲートから自家用車、また、西ゲートからグランドスタンドまでは徒歩で15分-20分程度だが、東ゲートからグランドスタンドまでは徒歩で40分-50分程度かかるので注意が必要である自動車で来場する場合は場内に複数ある駐車場(15か所の自動車用駐車場と1か所のオートバイ専用駐車場)が使用できる。また、大規模レースの際は場外に臨時駐車場が設けられ、各ゲートと主要観客席、駐車場を結ぶ場内シャトルバスが運行されるなお、元々近傍にあるまた2012年(平成24年)には、しかしさらに複数の鉄道駅から公共交通手段(路線バスもしくはタクシー)を使ってアクセスできる。なお、臨時バスが出ない通常時に路線バスでゲートまで直行できるのはさらに、全日本格式や国際格式の大きなレースの際には、JR御殿場駅(富士山口側7番)からの臨時バスのほか、小田急小田原線JR御殿場駅や駿河小山駅から西ゲートを入った横に2020年をめどに、富士スピードウェイの敷地内に一般向けのしかし、全日本格式のレースの開催日や連休、 これを受けて、改めてヨーロッパ式のロードコースとしてサーキットを建設することとなり、社名を現在の「富士スピードウェイ株式会社」に改めた。「サーキット」ではなく「スピードウェイ」という名をつけたのはオーバル計画の名残であるコースの建設が進む中、同年7月には計画当初から中心的存在だった河野一郎が死去し、その後富士スピードウェイの副社長であった息子の河野洋平が、河野一郎の後を継いで政界に入るために同社を退職した。 グランドスタンドや1コーナーの観戦スタンド、グランドスタンド裏やパドックエリア内のレストラン、お土産屋、自動販売機、トイレ、駐車場など、観客が利用する施設の質的向上やバリアフリー化も旧来に比べ著しい。 富士スピードウェイ株式会社は、2020年も様々なレース・イベントを開催いたします。 本年は、特に国内最高峰レース「全日本 スーパーフォーミュラ選手権」が 第2戦として4月開催となり、5月ゴールデンウィーク恒例の人気レース「autobacs super gt round 2 fuji gt500km race」へ続きます。
この陳情の背景には、富士GCの観戦を目的とした暴走族(グラチャン族)が、サーキット周辺で集会や暴走行為などを繰り返すことにより周辺環境が悪化するという問題や、1983年(昭和58年)に再び富士GCで起きたこれに対し1980年(昭和55年)には、レーシングドライバーやレーシングチーム、1986年(昭和61年)には、三菱地所が富士スピードウェイのある小山町長に対し調停を申し立てたが、同年7月30日「この件は白紙に戻す」という町長裁定が下り、正式にサーキットの存続が決定した。 グランドスタンドの座席は一席ずつ区切られ、ドリンクホルダーが設けられるなど、観客が快適にレースを楽しめるような工夫が凝らされている。また、グランドスタンドに障害者用観客席とトイレが用意され、また専用駐車場も近くに用意された。パドックとグランドスタンドを結ぶ通路も新たに広く、開放的な通路が設けられ、上り専用の1987年(昭和62年)から鈴鹿サーキットで行われていたF1日本GPの契約が2006年(平成18年)シーズンで終了することから、富士スピードウェイはそれ以降の日本グランプリの誘致を決定し、F1開催にあたっては、周辺の道路・宿泊施設等の状況を鑑みて、観客を駅や駐車場からシャトルバスで往復輸送する「チケット&ライド方式」を採用した。しかし、復活初年度の2007年(平成19年)は悪天候によりバス輸送が大混乱に陥り、予選終了後に観客が長時間にわたって場内に閉じ込められたり、決勝スタートまでに来場できないという不祥事が発生した。その他にも1コーナー仮設観客席からコースが見えないなどの諸問題が露呈し、日本GPの歴史に汚点を残す結果となった。レース後に観戦者より民事訴訟を起こされた。2013年1月24日に東京地方裁判所は訴訟を起こしていた67人の原告に対し、内53人に約80万円を支払うよう命じた2年目の2008年(平成20年)は20数億円を投じて対策を行い2009年(平成21年)7月7日、富士スピードウェイは日本GP開催からの再撤退を発表した以降はF1世界選手権の開催こそなくなったものの、その後もFIAの「グレード1」を持つ世界でもトップクラスの施設を持つサーキットとして人気を博し、2018年6月、スーパー耐久シリーズ富士大会として、富士スピードウェイにとって50年ぶりとなる24時間耐久レースが開催された。また、2019年の開催も決定したまた、さらに自動車レースのみならず、自動車メーカーやメディア、オーナーズクラブなどによる関連イベントや自転車イベント、音楽イベントを含む各種イベントも1年間を通じて頻繁に行われており、東日本のモータースポーツの中心地の一つとして賑わいを見せている。場内には「本コース」の他にも、「ショートサーキット」、「本コースは、全長1,475mという世界有数のロングストレートを持ち、コース幅も15〜25mと広い(鈴鹿は10〜14m)ホームストレートは現在よりも長く、1,700m近くあった。ストレートから全開のまま、30度バンクに突入。ぐるりと半円を描き、バンクを通過すると右、左と大きく旋回するS字コーナーを抜けて、現在の2コーナー出口に位置していた合流地点へ。左の超高速コーナー、250Rを通過して右の100Rへ。フルブレーキでヘアピンを抜け、300Rから最終コーナーまでの長い全開区間からホームストレートへ戻り1周となる。1周は6kmであり、当時の鈴鹿サーキット (6.004km) とほぼ同距離。フルブレーキポイントはヘアピンのみというハイスピードコースであった。 富士スピードウェイの大きな特徴として、30度の当時、国内でこのような急角度の路面舗装を経験した業者はひとつもなく、依頼された日本鋪道(後の直線から30度バンクへはほぼアクセル全開で飛び込むが、走行ラインは1本しかなく、バンク下から吹き上げる横風の影響も受けたバンクの使用停止に伴い、以後のレースは全て右回りで行われる形に改められている。ただし、ファン感謝デーや旧コース時代の末期にイベントの一環として、体験走行会が何度か行われている。現在は一部の路面がモニュメントとして遺されたメモリアルパークとなっている。 Night Racing Experience.
富士ジュラシックウェイ 夏休みイベント開催中! 2020/07/24〜2020/07/24. 1974年に30度バンクが廃止され、前述のショートカットコースをメインとしたレイアウトとなる。1周は4.359km。ホームストレートは約1,500mに短縮され、1コーナーはヘアピンとなる。それ以外は前述と同じレイアウトである。バンクは無くなったとはいえ、超高速コースである事には変わりない。1976年と1977年のF1もこのコースが使われた。 富士スピードウェイのレーシングコース&ショートサーキットでスポーツ走行を行うためのライセンスです。 FISCOライセンスは、一般走行マナー、サーキット規則、サーキットの形状など、スポーツ走行を行う上で、必要不可欠なルールや注意事項などの講習を受講された方に発行しています。 1980年代には3箇所の改修工事が行われた。 富士スピードウェイ周辺ホテル、口コミやランキングなど旅行や出張に便利なホテル情報が満載、小山町の中で一番お得なホテルを探すのに便利、小山町にあるホテルの1,437件の口コミ、ホテルの写真をご用意しています。 コントロールタワーに並んで、3階建てのピットガレージ(ピットビルA)と、電動シャッターと電源が備えられたピットガレージ(ピットビルB)が設けられている。ピットビルAには30(電動シャッターや電源、控室とトイレ、モニター付)、ピットビルBには15のピット(電動シャッターや電源、モニター付き)が備えられておりまた、ピットビルAの2階には有料で貸し切りでき、メインストレートとピットが見下ろせる多目的ルーム「クリスタルルーム」が9部屋ピットビルA裏のパドックエリアには、有料で貸し切りできる2階建ての「パドックスイート」(ソファーや机といす、トイレとシャワー室、コントロールタワー脇のBパドックには、なお、コントロールタワーやパドックエリアとグランドスタンド中央方面との間を行き来するための歩行者用地下道が備えられており、上りのみのAパドック横には、約200席を持つ2017年7月に、トヨペット100R内側の森の中に敷地内にトヨタの交通安全センター「モビリタ」東ゲート近くには、東ゲート脇に運営会社である富士スピードウェイ株式会社の本社とサーキット事務所が設けられており、サーキットライセンスの取得やコース貸し切りの申し込み、プレス受付や広告看板の掲出申し込みなどに対応している。また、コントロールタワーにも事務所が設けられており、サーキット走行券の購入などはこちらで行う。「モビリタ」や「西ゲート脇にはレース開催時には過去には、レースやイベントが開催されていない日でも入場が可能で、入場料は大人(18歳以上)が1,100円、高校生800円、中学生以下は入場無料である。入場料には場内駐車場代が含まれている。なお、サーキットライセンス所有者は入場無料である。全日本格式クラスや国際格式のレースやイベントが行われている日は、それぞれのレースやイベントの入場料に準じる。また、「ワールドチェカパス」と名付けられた、富士スピードウェイで行われるスーパーフォーミュラやSUPER GTなどの5つの全日本格式クラスのレースを一般観戦エリアで観戦できるパスが毎シーズン開幕前に販売される、さらに、「ワールドチェカパス」に、パドックパス(ピットウォーク含む)が付随したパスも同時に販売されている。