岡山弁は、県内の方言は、岡山弁の断定の助動詞(岡山弁ではまた、ガ行備前・備中には「せ」「ぜ」の音声としてシェ・ジェという発音が存在している母音(a, i, u, e, o)が連続する部分を連母音という。岡山弁では連母音が現れると、その部分が融合し母音の長音に変化する場合がある。以下は東京式アクセントの地域でも、県南部および北東部では「昼」「夏」「冬」が「東京のアクセントでは、三拍形容詞は平板型になるもの(あなお、岡山県内のうち、次の地域は東京式アクセントではない。真鍋島では一岡山市の活用表を示す連用形のうち「-かり」の形は、「そーな」を付けて使う。また、動詞と同じく推量の用法で未然形を用いることが盛んにある。
中国方言ではよくある事だが、形容動詞の終止形に「-な」の形がある。これに伴い、「静かなじゃろー」(=静かだろう)、「静かなかろー」(=静かだろう)、「静かなかりそーな」(=静かだそうだ)、「静かなけりゃー」(=静かならば)のような活用を用いることがある。 岡山県出身の知り合いがいたり、岡山県へ旅行や引っ越し、仕事でいらっしゃる方へ!岡山はとにかく方言のクセがすごいんじゃ!基本、乱暴的に聞こえがち。でも面白い岡山弁もあるので、本記事では「面白い岡山弁 笑われちゃう方言のセリフ10選」をご紹介いたします! A の「死にょーる」は進行相をあらわす表現であり、「死んでいる」と共通語に訳すことはできない。「死ぬ」は一瞬の状態の変化を表す動詞の1つであり、意味上「食べる」「踊る」のように動作の継続をも表しうる動詞ではない。こういった動詞が共通語の「-ている」に結び付く場合、一瞬の変化の完了(状態の継続)と捉えるのが自然であって、一瞬の変化が進行中であると捉えるのは難しい。そのような動詞に対し「死にょーる」のように進行相の形にしたとき、状態の変化が今まさに進行中であることを示し、共通語の「死にかけている」「死につつある」という意に相当する。発言した瞬間にはまだ死んではいないが、いまにもすぐに命のともし火が消えそうな状態をさす。同様に、「もうちょいで崖からおちゅーった」は「もう少しで崖から落ちるところだった」の意である。それに対し B は完了相であり、直訳文の文字通り「既に死んでいる、死んだ」ことを表す。 これらを共通語に直訳すると、どちらも「今朝起きて、何か寒いと思いながら外を見ていたら、雪が降っていたので驚いたよ」となるが、実のところ A と B では意味が異なる。A は進行相の文であり、話者が外を見た正にその瞬間に空から雪が降っているさまを表している。しかし B からは、外を見た瞬間空には雪が降っていたか止んでいたかは読み取れず(とはいえ、聞き手には既に止んだものと捉えられることも多い)、むしろ既に雪が降っていたために外を見たときには雪が降りもう1つ文例を挙げる。 記事を読むもっと見る 以下の名詞は、米軍統治時代に、なお、「ナイチャー」や「アミリカー」(アメリカ人)などの語尾が、英語の以下は標準語にも存在するが、沖縄では異なった意味で使われる動詞である。 上例の「今やっとる」とは「今やりつつある」の意味であり、この場合「やっとる」を「やりょーる」と言い換えることもできる。ただし、「やりょーる」が動作そのものが進行中であることを示すのに比べて、「やっとる」は「さっきからずっとやっている」というように、ある程度前の時間から現在(発言した時点)まで動作が継続している岡山弁では、いわゆる「ら抜き言葉」「れ足す言葉」が話される例が散見され、東海地方や他の中国・四国地方と同様に、昨今 岡山弁の語彙には次のようなものが挙げられる県西部の井笠地方は歴史的に備後地域( 中国方言ではよくある事だが、形容動詞の終止形に「-な」の形がある。これに伴い、「静かなじゃろー」(=静かだろう)、「静かなかろー」(=静かだろう)、「静かなかりそーな」(=静かだそうだ)、「静かなけりゃー」(=静かならば)のような活用を用いることがある。また、2つ目の連用形も、「静かになる」のような共通語と同じ使い方もあるが、「静かにあった」(=静かだった)、「静かにあろー」(静かだろう)という活用で用いることがある。岡山弁では、格助詞「は」「を」「に・へ」は前の名詞と融合して発音される。これを名詞の共通語においては、動作の進行を表す相に関するこれら2種の違いにより意味がはっきりと異なる文例を次に示す。 方言 しゃーしぃ 方言の地域 大分県 方言の意味 「しゃーしぃ」とは大分弁で「五月蠅い」という意味の言葉になります。また、「しゃーしか」という大分弁もあり、此方には「煩わしい」という意味があります。 他県での方言 この記事には以下の用例のうち、「ワン」以外は中高年層で使われることはほとんどない、いわゆる沖縄の若者言葉である。これらは品のない印象があるため、目上の人に対して使う場合は注意が必要である。 「無理題」に遊ぶ 授業をやっててここはおかしいな、あるいは大学入試古文問題を見て、これは変だなといったことを「無理題」と名付け、それを探ってやろうと思いました。 60年も昔の話になります。初じめて勤務した四国の学校で、「めんしぇき先生」と一緒になりました。数学の少し上の年配の教師です。大分県の出身でした。香川県のその高校で、数学を教えていたのですが、あだ名が「めんしぇき先生」。授業中「面積(めんせき)」と発音せず、「面積(めんしぇき)」と発音するからでした。 後輩である、私が一杯飲んで、「実は私も『せ』が発音できなくて苦労しました」と伝え、その克服法を伝授いたしました。「しぇ」が「せ」に変わったかどうか、次の年、故郷の大分県に帰られたので、この話は一つの思い出として残っただけでした。 昨日(5月10日)夜8時からののテレビ番組「ボツンと一軒家」を老妻と見ていました。「大分県のポツンと一軒家」の唯一人で住んでいる女性が、アナウンサーに「下が『じりい』から(気いつけなさいよ)」と言う場面がありました。括弧以下は覚えていないのですが、早速、老妻に「『じりい』という言葉が分かるかと」質問しました。宮城県生まれだが、この備後にすでに60年も住んでいて、答えは、「分かりません」でした。 「水などで地面がぬかるんでいること」を、ここ広島県備後地方では「じりい(ぢりい)」と言います。この方言が同じ意味で、遠く大分県で使われていることにびっくりしました。そして、改めて「めんしぇき先生」のことを思い出しました。 井伏鱒二の『丹下氏邸』の方言を調べていて、「何故(なじょ)かと申すに」など「どうして」の意味の「なじょ」が三箇所出てきます。 老妻によると、「それ、宮城県生まれのばあちゃん、使ってたよ。私だって若い頃は使ってました」でした。 コロナ騒動で、岡山県知事が県境で入県者にストップをかけようとして、反対に遭い、あきらめたという報道がありました。行政も含めていろいろ考え方があり、この難敵からそれぞれが身を守るため、「ロックアウト」もあり得るかなとひそかに同情もしていましたが、昨日の大分県の老女の方言に共感し、老妻の宮城県の方言が、備後方言にもつながるとしたら、「やはり、日本は一つかな」と老妻と話し合った次第です。 沖縄方言「ぬー」の意味.